
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、地方自治体や企業・個人が安否確認、被災地の状況、救援物資の状況をそれぞれのWebサイトやTwitterなどでやり取りし、USTREAMでテレビ局各社の放送が流されている。
インターネットや、それに付随するツールがフル稼働している状況だが、この接続を支えているのがIP(インターネットプロトコル)と呼ばれる通信の仕組みだ。インターネットにつながる端末(PCやサーバ等)には、それぞれの区別を付けるためにIPv4アドレス(番号)が付与されている。
このアドレスの中央在庫が2011年2月3日に枯渇した。IPv4アドレスの枯渇問題、実際はどのような問題を抱えているのだろうか。これからのネット利用への影響などを取材した。
IPv4アドレスを世界中に割り振る役目を担うIANA(Internet Assigned Numbers Authority、アイアナ)。ここにあるIPアドレスの在庫が、2011年2月3日に行われた割り振りを最後になくなった。
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IPアドレスの割り振りの流れ。赤線は日本にIPアドレスが割り振られる経路を示す(出典:JPNIC) |
IANAが最後に割り振ったアドレスは世界の5地域にあるRIR(Regional Internet Registry、地域インターネットレジストリ)の在庫となる。日本はRIRのうち、アジア太平洋地域を管理するAPNIC(Asia Pacific Network Information Center)の管轄だ。日本でIPアドレスを管理しているJPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)は独自の在庫を持たず、APNICから直接アドレスを引き出して事業者へ割り当てを行っている。このため、APNICでの在庫がなくなり次第、IPv4アドレスは「枯渇」ということになる。
そもそもIPは、インターネットの通信をするための決まりごと。その起源は1969年、米国・国防総省のネットワークプロジェクト「ARPANET(アーパネット)」から始まった。これに携わった研究者たちがネットワークの規約を作り始めた。この後、1981年に「IPv4」が定められ、約43億個のアドレス空間が誕生した。
IPv4が採用された当時は、米国の研究機関のネットワークNSFnet*1で接続されていたコンピュータなどを考えても十分にあまりある空間だったという。
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IPアドレス開発経緯を語るJPNICの前村氏 |
しかし、1991年に登場したWWW(ワールドワイドウェブ)によって文章や画像、別のページへのリンクへも貼り付けることができるようになり、専門家以外のインターネットとの距離が急速に縮まった。「1989年に初めての商用ISPが誕生しました。月額の料金を払えば、一部の研究者たちが使っていたEメールなどのサービスを使えるようになる。当時としてはかなり画期的なことでした。さらにWWWの登場で、世界中でインターネットの利用が広がる気配を見せました」と、JPNICインターネット推進部長の前村昌紀氏は語る。
世界中でインターネットを使用するようになれば、研究者たちの間で利用していた頃のようなIPアドレスの余裕は当然無くなってくる。この頃からIPアドレスの枯渇が関係者の間で言われ始めた。「1992年の時点では次世代の通信規格を開発しよう、という動きになっていました」(前村氏)。
1992年に始まったIPv6の研究は、1995年にRFC1883として標準化され、IPv4に代わる次世代通信の規格として策定された。
余談ではあるが、「IPv4、IPv6とあって、なぜ『IPv5』がないのか?」という素朴な疑問がある。実は、IPのバージョンは9まである。IPv5もあったが、これは実験的な通信方法で、一般での利用は想定していないもの。また、IPv7~IPv9は、次世代通信の策定段階で作られた規格として存在する。IPv6はその中から選ばれた仕組み、ということである。