連載 次の60年へ 躍動するテレビの変遷史

2014/6/26

第5回 衛星放送の登場

衛星を使った中継を行うなど、国民の注目を集めた日本のテレビ放送。テレビの軌跡を追う「躍動するテレビの変遷史」第5回は、テレビの可能性を高めた衛星放送の普及に迫る。

衛星の打ち上げと試験放送開始


 アポロ11号による月面着陸の中継など、衛星を使った「中継」を活用することで多くの視聴者を魅了してきた日本のテレビ放送。この「衛星」を“新たなエンジン”とし、日本のテレビ放送は進んでいくことになる。


 1965年、NHKの前田義徳会長(当時)は会見で「難視聴地域解消のため放送衛星を使った開発に乗り出す」と伝えた。会見から5日後に調査委員会が設けられ、実用に向けた実験衛星を1970年度に打ち上げるという方針が示される。これに伴い郵政公社、電電公社、国際電電(KDD)、NHKは通信・放送衛星研究開発連絡協議会(4社協議会を設置し、衛星放送の開発を正式に決定。さらに1969年にはNASDA(宇宙開発事業団)が設立され、衛星を活用した宇宙開発が日本でも本格化していく。


 ただ開発は思うように進まず、「米国の技術を導入するべき」という声が技術者を中心に強まる。そこで政府は1969年、愛知揆一外務大臣とロジャース国務長官の間で交渉を行い、宇宙開発の協力に関する文書を交わすと、インテルサット衛星のような高度な衛星をつくる技術が日本にもたらされる。NHK技術研究所も衛星システムの研究を重ね、ついに1977年12月、実験用通信衛星(CS:Communication Satellite)「さくら」が打ち上げられる。


 1978年4月には実験用放送衛星(BS:Broadcasting Satellite)「ゆり」が打ち上げられ、東経110度の赤道上空に静止。このBSを使い3年半実験を重ねた結果、衛星放送実用化の目途が立つ。そして1984年5月12日、新たに打ち上げた放送衛星BS-2aを利用し衛星試験放送(NHK衛星第1テレビ)が開始された。これは世界初の衛星放送で、全国42万世帯と呼ばれたテレビ難視聴対策にとっても大きな一歩となる。当時の難視聴地域・小笠原諸島でも本土と同じテレビが見られるようになり、祝賀行事が行われた。

実験用放送衛星(BS)「ゆり」
(出典:JAXA)
実験用放送衛星(BS)「ゆり」 (出典:JAXA)

特長のある番組編成で徐々に普及


 当初は「衛星第1テレビ」の1チャンネルのみだったが、BS-2bの打ち上げで「衛星第2テレビ」も開始。1989年6月には衛星第1と第2テレビに郵政省が衛星放送局の免許を発行。本放送が開始される。


 衛星放送が視聴者の心をつかんだ特長として24時間放送が行われたこと、さらに高品質な音声を活かした音楽番組、海外のスポーツ中継など独自の番組編成が行われていたことなどが挙げられる。これにより衛星放送は視聴者の多くの関心を集め、1ヶ月間で3万件もの問い合わせを記録する。


 さらに普及に弾みをつけたのは1988年に開かれた2つのオリンピックだ。2月に行われたカルガリーオリンピック、9月に行われたソウルオリンピックの中継が行われ、5年5ヶ月で衛星放送受信世帯は10万件を超えた。


 衛星放送を受信するためにはパラボラアンテナとチューナーが必要となる。パラボラアンテナは衛星からの電波を受信し、付属のコンバーターでUHFに変換。チューナーによってチャンネルを選択し、テレビに映すという仕組みだ。

衛星放送にはパラボラアンテナが必要となる
(出典:NHK)
衛星放送にはパラボラアンテナが必要となる (出典:NHK)

 東芝は1984年、衛星放送受信機(パラボラアンテナとチューナー)を発売。その後、他のメーカーも受信機を開発し、衛星放送受信機は20万~30万円台の値段で販売される。その後も価格競争が行われ、1985年3月末にはパラボラアンテナが6万5000円~9万5000円、チューナーが7万~8万円と値段が下がっていく。


 NHKも衛星放送の正しい受信方法を理解してもらうために技術指導を行い、様々なキャンペーンを実施するなど独自に衛星放送の周知・販売促進活動を展開していく。


有料放送 WOWOWの登場


 また、民間初の衛星放送も誕生する。有料放送のWOWOWだ。WOWOWは1991年4月に本放送を開始し、公開して1年程度の新作映画を放送。また米国のペイチャンネル専門企業と合弁会社を設立し、200億円を投じて300本の映画を調達するなど、魅力的なコンテンツを揃えていく。


 ただ、普及自体は難航する。WOWOWを視聴するためには、加入金と月々の視聴料の支払いが必要。そのため、視聴者が加入を渋る状況が続いた。そこでまずは視聴者にWOWOWの良さを理解してもらうため、平日の午前中やキャンペーン期間の土日に無料放送を行った。


 しかし、それでも加入者は期待していたようには増加せず、当初予定していた事業計画の根本的な見直しを迫られることとなる。放送開始時には総契約数が20万件を突破したものの、100万件を突破したのは約1年後の1992年8月。事業計画上の目標だった300万件には遠く及ばなかった


 そこで経営体制を強化するため、松下電器産業副社長の佐久間昴二氏が就任する。佐久間氏はナショナルショップを活用し、加入の促進を積極的に展開し、番組調達費を大幅に圧縮するなどの改革を断行する。その結果、WOWOWは1995年度決算からの黒字化に成功する。


 有料放送を含め、衛星放送が普及への足掛かりをつかんだ背景には、特長のある番組編成の他に「高画質」という大きな武器があったからだ。この高画質を生み出す「ハイビジョン」の技術が視聴者の関心を集め、衛星放送の普及に貢献することとなる。

(山下雄太郎)

>>今では当たり前のハイビジョン、その仕組みは?


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