連載「人間VSコンピュータ 10番勝負!」

2013/6/27

チェス対決・第4回 カスパロフとディープ・ブルー、対決の後に

「コンピュータと人間、一体どちらが強いのか?」「人間を絶対的に凌ぐことは可能なのか…?」――。誰しもが持つ好奇心を満たすべく、これまで様々な研究と対決が繰り広げられてきた。現在も続く勝負の行方を、チェス、将棋、囲碁などのボードゲームでの歴史からたどることにしてみる。

 1997年にIBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」がチェスチャンピオン、ガルリ・カスパロフを負かした。第4回では、「2者」の対戦経緯と、その後を見ていきたい。

カスパロフとディープ・ブルー

 ディープ・ブルーとカスパロフが対局に行きつくまでは、それぞれに物語があった。


 1960年代まではハード面の限界から、チェスにおけるコンピュータのアルゴリズムは「名人の手を真似る」という手法を、ほとんどのソフトが採用していた。ただ、ある局面で記憶している良い手を真似ても、その後に一旦捨てた手は指せなくなるため、棋力はなかなか上がらなかった。


 1980年代になるとハードの性能が向上してくる。こうなると、ルール違反にならずに指せる手(合法手)を全て検証することも可能になった。1988年にカーネギーメロン大のOBチームによって制作される「ディープ・ソート」はその最たるもの。10手先(約70万通りの陣形)まで読む能力があった。


 ディープ・ソートのチームはIBMにスカウトされ、ソフト・ハードを大幅強化したチェス専用コンピュータを作った。これがディープ・ブルーである。1秒に1億パターンを探索できる能力を備えたスパコン級のマシンだ。


 一方のカスパロフ。1963年に旧ソ連のアゼルバイジャンで生まれる。13歳のときにチェスのソ連代表に選ばれ、22歳でチェス世界チャンピオンに輝いた驚異の才能の持ち主である。対局がある時は、彼をサポートする数人の「セコンド」とともに、スポーツジムで筋力トレーニングを行い、食事にも気を使うなど、徹底した体調管理をして試合に臨んでいた。


 カスパロフが活躍したのはチェス盤の上だけではない。世界チャンピオンになってから、チェスの国際大会に企業の後援を禁じていたFIDE(国際チェス連盟)から離脱し、スポンサー後援を可能にする団体・PCA(プロチェス協会)を設立する。チェス界に新たな風を巻き起こす活動などもしていた。


対決

 両者が初めて対戦したのは1990年。この時はディープ・ブルーが大敗。1996年に行われた対局では、カスパロフが6戦3勝1敗2引き分け。試合では負けたものの、チェスのプロプレーヤーに勝利したのである。


 そして、1997年5月に3回目の対戦が行われ、ここで歴史が変わったのである。この時のディープ・ブルーはハードウェアの性能が2倍近くになっていたという。その初戦、カスパロフが驚いた手がこちら。25手目の黒(ディープ・ブルー)だ。

25...Be7(黒の25手目、e7のビショップの意味)まで。想定外のビショップ
25...Be7(黒の25手目、e7のビショップの意味)まで。想定外のビショップ

 その5手前に、d6からc5へ同じビショップを動かしていたディープ・ブルー。この手は何の意味もないと、観客たちからも失笑がもれた動き。ここから、c5からe7にビショップを指した。この25手目のビショップは、g5に進んでc1からh6の線上をけん制できる。「今までの動きはハッタリか?」と思わせた手である。対戦後にカスパロフは「予想していなかったいい手だった」と振り返っている。ここからの後半戦は、28手目に...f5、29手目に...e4とポーンを進めてきたために乱打戦となるが、45手目でディープ・ブルーチームが投了してカスパロフが勝利した。


第2回戦

 しかし、ディープ・ブルーが白の先手となった第2回戦では、23・Rec1(白の23手目、e列にいたルークのc1)の1手で、カスパロフは不意を突かれる。直接は影響しないが、局面が進んだ後にc列での動きを良くするための潜在的な手である。


 これ以降、進化したディープ・ブルー側のデータが手元に一切ないこと、それまでなかったプレー中の「長考」など、予想外の指し方にカスパロフは調子を崩す。結局、1勝2敗3引き分けで敗北してしまったのである。


 後にディープ・ブルーの開発者は、第1回戦の手が「バグでランダムに打ったもの」と回想している。この時の試合では第2回戦のディープ・ブルーに注目が集まっていたが、その萌芽はカスパロフが勝利した初戦からあったのだ。スパコンの「バグ手」に、カスパロフが自滅してしまう結果となった。


 ただ、現在の将棋や囲碁でのコンピュータ対決は、事前に対局相手のソフトで練習することが一般的である。これを考えると、2倍のスペックになったコンピュータの練習がかなわなかったカスパロフには、多少の不利があったことは否めない。ただ、「相手の棋風にとらわれずに読みぬくべき」という声もある。なかなか難しいところである。


チェス対決の果てに

 カスパロフは再びの対戦を望んでいたが、IBMはディープ・ブルーを解体してしまう。しばらく後、カスパロフ自身はプロを引退し、ロシアの民主化を求める反プーチン勢力の野党政治家として活動。ロシア当局にたびたび逮捕されている。ディープ・ブルーは解体された後に、筐体の一部が国立アメリカ歴史博物館に提供された。


 トッププロと張り合うまでになったプログラムと、そのアルゴリズムを実現するだけのハードウェア。バグがあったとはいえ、1997年の対戦はコンピュータチェスにとってソフトとハードの能力が一致した瞬間だった。


 コンピュータチェスの研究で編み出されたアルゴリズムの1つに「アルファ・ベータ探索」がある。探索ツリーの中から、手を進めても勝ちを見込めないパターンを探さないアルゴリズムである。コンピュータの力技はハード面で限界があるため、少しでも計算量を減らすための手法だ。こうした手法は、膨大な数がある新薬開発などの研究に利用される「機械学習」にも通じてくる。数学者、クロード・シャノンが言った「コンピュータチェスの研究は他の分野にも応用が利く」ことが実現されているのだ。


 もちろん、将棋や囲碁にもチェスでの研究が活用され、さらなる進化を遂げることになる。

(中西 啓)

>>チェスの技術を使ったコンピュータ将棋の軌跡は…


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