連載「人間VSコンピュータ 10番勝負!」

2013/3/28

チェス対決・第1回 産業革命のあだ花・オートマトン「ターク」

2013年3月23日から、「第2回電王戦」がスタートした。約1ヶ月かけ、現役プロ棋士5人の頭脳と、コンピュータソフト5本の勝負である。第1局となる阿部光瑠4段 と「習甦(しゅうそ)」の対決は、阿部4段に軍配が上がった――。

 「電王戦」は、故・米長邦雄永世棋聖と「ボンクラーズ」の対戦から始まった。2012年1月14日、米長氏は練りに練った「6二玉」の2手を放ち、コンピュータ側の弱点を突いていったものの、攻めきれずに敗北を喫してしまった。

 「コンピュータと人間、一体どちらが強いのか?」「人間を絶対的に凌ぐことは可能なのか…?」――。誰しもが持つ好奇心を満たすべく、これまで様々な研究と対決が繰り広げられてきた。現在も続く勝負の行方を、ボードゲームでの歴史からたどることにしてみる。

「機械と人間」のバトルは産業革命から

 インターネットやコンピュータデバイスの発達を受けて、「人間の働く場所はあるのか」といった議論が散見される。こうした議論は、18世紀の産業革命期にさかのぼることができる。1733年にジョン・ケイが発明した飛び杼(とびひ)を皮切りに、紡績機、蒸気機関と、ヨーロッパでは手工業から工業化にシフトするための機械が次々と発明されていた。


 機械による自動化が進めば、「いつか機械が人間を凌駕する」という思いが生まれるのは当然と言えるだろう。そんな産業革命の只中で「オートマトン」、いわゆる機械仕掛けの自動人形がもてはやされた。


 「機械に人間らしい動きをさせる」という考え方は、その延長線上に「機械と人間の対戦」につながっていくのも自然といえるだろう。蒸気機関のような物理的なパワーはともかく、頭脳で人間超えることはできない。1770年、そうした考えをひっくり返したのが「チェスを指す機械」としてオーストリアに登場した「ターク(トルコ人)」だ。


最初の機械は“人間”だった

 現在もそうだが、チェスはヨーロッパで知的ゲームの代表格だ。これを機械がプレーするというのだから、人々も当然驚いた。


 タークを披露したのはヴォルフガンク・フォン・ケンペレンという官吏。オーストリア=ハンガリー帝国の女帝、マリア・テレジアに仕えていた。ケンペレンがタークを作成したきっかけは、マリア・テレジアと同席したマジックショーでのこと。


 独学で物理などを学び、博識であったというケンペレンは、マジックの解説を彼女に行う。一通りショーが終了すると、マリア・テレジアにショーの評価を聞かれたケンペレンは「自分ならもっと驚くような効果を発揮し完璧に人を騙せるような機械を作れると信じております」(『謎のチェス差し人形「ターク」』より)と宣言した。


 その約6か月後、マリア・テレジアの前に披露されたのが、この機械である。


オートマトン「ターク」の復元模型
オートマトン「ターク」の復元模型

 ケンペレンは特に名付けていなかったが、当時マジシャンの典型的な格好であったトルコ風の衣装をまとっていた人形は、いつしか「ターク(トルコ人)」と呼ばれるようになった。ケンペレンの意図とはよそに、貴族たちの間で人気となったタークは、1780年にマリア・テレジアの後を継いだヨーゼフ2世の命で、ロンドン・パリを2年の間巡業することになる。その間、後に3代目の米国大統領となるベンジャミン・フランクリン、数学者でコンピュータ理論の基礎を作ったチャールズ・バベッジという、当時の有名人の目に留まった。


 ケンペレンが死去した後も、ヨハン・ネポムク・メルツェルという発明家がタークを使って各地で興行を行い、ナポレオン、エドガー・アラン・ポーなど、数々の著名人が接することになった。


種明かし

 「人と対戦できる機械」の触れ込みであったタークだが、もちろんオペレーターが隠れていた。タークがプレーを始める前、誰もいないことを確認させるためにキャビネットの扉を開ける。このとき、キャビネットに向かって左側にある機械の裏に上半身を、キャビネット下部に足を伸ばして隠れる。ちょうど正面から見てL字型になりながら、オペレーターは扉が閉められるのを待つ、という寸法だ。


 試合が始まると、オペレーターはろうそくの火を頼りに、内部にあるもう1つのチェス盤と、タークの腕と連動したレバーを動かしながらチェスを指していた。


 また、タークが登場する前にいくつかのオートマトンを披露することで、観客に「オートマトンは正確な動きをする」という意識を持たせる。人が巧妙に隠れる仕掛けといい、精巧な機械ではあったものの、どちらかというとマジックの要素が強いものだった。


 後にタークのレプリカを作ったジョン・ゴーガンも「技術者ではなく、マジシャンの工夫が見て取れる」と言っている。しかし、1770年に世に出てから1857年に、最後のターク所有者であったジョン・カースリー・ミッチェルの息子によって公表されるまで、オペレーターなど一部の人間以外はその仕組みを知ることなく、タークの「からくり」を正確に暴けなかった。ケンペレンが言っていた「人を騙せる」という意味では、完成していたのかもしれない。


 初めての自動でチェスを指す機械は、ふたを開けてみれば「二人羽織」であった。トリックではあったが、以後「人間が機械(コンピュータ)と対戦する」という目論見が現在も続けられていることを考えると、タークはその先鞭と言えるだろう。

(中西 啓)

>>第2回スペインのチェス機械「エル・アヘドレシスタ」へ


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