連載「暗号と暗号史」

2012/2/16

【第12回】暗号のこれから~近未来の安全はどう守られるか~

「一般大衆の目から隠しもせずに秘密を書く者は、頭がどうかしている」という13世紀の言葉が示すように、情報のやり取りが便利になるほど、秘密を守る手法、“暗号”は必要不可欠になってくる。

 研究者たち(現在は数学者が中心)の“知恵比べの最前線”と言ってもよい暗号の技術開発は、この先どのような展開を見せるのだろうか。将来実現されると言われている「量子コンピュータ」を軸に近未来の暗号のあり方を模索し、「暗号と暗号史」の最終回としたい。

量子暗号とは何か?

 前回・前々回の記事で紹介した「量子暗号」だが、そもそもこの暗号は量子のどんな性質を利用しているのか。


 量子は、原子よりも小さい物理量の最小単位。なので、量子がどういう動きをしているかを観測するのは非常に難しい。動いている量子を見ようとすると、観測前の状態から変化してしまう。「BB-84」はこの性質を利用して、途中で解読者がデータを読み込もうとしても、光の状態が変わる性質を利用し、鍵を送っている。

量子暗号の比較すべき点
量子暗号の比較すべき点

 「BB-84」で使われている鍵は「バーナム暗号」だ。ランダムな数字を利用して鍵を作り、1度使った鍵は2度と使わないというもの。現在、実現できている暗号のうち、唯一解読が不可能であると証明されている「数理暗号」だ。これを使うために量子の性質を利用する、という仕組みだ。量子を使うことによって「解読不可能」な暗号を作っているわけではない。


 一方の「Y-00」は、データそのものに量子力学を利用した暗号をかける。「BB-84」と「Y-00」はその強度を巡って学術論争もなされているが、本来の意味で対立させるのであれば、「バーナム暗号(数理暗号)」VS「Y-00」という構図であろう。


 量子暗号は、その存在もまだまだマイナーである。なおかつ名前を知っている人も、「よくわからないが、物理的な方法で絶対解読されないもの」と思う傾向が強いため、「量子力学の使い方」として見られがちなのが現状だ。


量子コンピュータができても数理暗号は破られない?

 こうして量子暗号が研究されるのは他でもない、将来誕生すると言われている「量子コンピュータ」の存在だ。


 量子コンピュータの出現で恐れられているのは、RSA暗号などの暗号が「一瞬で解読されてしまう」ことだ。インターネット上などで利用されている暗号の安全性は、鍵を求めるための計算量が膨大で、全てのパターンを計算するには、例えば100年くらいコンピュータを動かさなければならない、という部分に依拠している。量子コンピュータは、スーパーコンピュータよりはるかに量の多い並列処理を行えるため、数100年かかる計算もものの数秒で答えを出してしまうことが可能となる。


 しかし、一説には量子コンピュータの登場は、逆に解読されない暗号を作ることも可能になるという。ここでは「巡回セールスマン問題」という計算がキーポイントになる。


 1人のセールスマンが、複数の場所を訪問して出発地と同じ場所に戻る。この時の移動距離が最短になる経路を求めるのが、「巡回セールスマン問題」だ。場所が少ないうちはすぐに計算が可能だが、回る場所が多くなるほど解答を出すまでの時間が膨大になっていく。


全てが量子コンピュータにならなくてもいい

 回る場所が6カ所の場合、回るパターンは60通りであるが、これが30カ所になっただけで、4.42×1030通りという、とてつもない数になってしまう。 巡回セールスマン問題などは、数学の世界で「NP困難問題」と呼ばれ、効率よく解けない難問の1つとされている。


 巡回セールスマン問題に対する解答を出すための最適な方法は、様々な理論が打ち立てられている。これを応用して“量子公開鍵暗号”も作ることが可能である、という論文も発表されている。しかし、実際に鍵をコンピュータへ実装するための手立ては見つかっていない。しかし量子コンピュータがあれば、こうした理論をもとにした強力な数理暗号の開発も可能になる。


 また、量子コンピュータを利用して作られる“量子公開鍵暗号”を利用すれば、ショッピングサイトのサーバ側に量子コンピュータがあれば事足りる。現在使われている回線と私たちの使っているPCやスマートフォンなどの端末は変えることなく、安全な暗号が利用できるというわけだ。


 量子コンピュータの実現には数10年かかると言われている。だが、2012年1月には、量子力学の不確定性原理についての新たな研究発表が小澤正直氏(数学者)によってなされるなど、その道筋は長いながらも着実に前進している。


 古代ギリシャから連綿と続く「暗号」。外交・軍事面での利用が多かったがコンピュータとインターネットの登場で私たちの日常生活に欠かせないものとなった。


 本連載はこれで最終回となるが、研究者たちの暗号への挑戦はこれからも続いていくだろう。

(中西 啓)

【連載】暗号と暗号史 主な参考文献
『暗号 原理とその世界』長田順行著(ダイヤモンド社、1971年)
『暗号 ポストモダンの情報セキュリティ』辻井重男著(講談社、1996年)
『暗号解読 上・下』サイモン・シン著 青木薫訳(新潮社、1999年)
『暗号技術のはなし』H・X・メル、ドリス・ベイカー著 (株)コスモユノー訳(ピアソンエデュケーション、2002年)
『暗号事典』吉田一彦、友清理士著(研究社、2006年)
『暗号と情報社会』辻井重男著(文芸春秋、1996年)
『暗号の数理』一松信著(講談社、2005年)
『暗号のすべて ユビキタス社会の暗号技術』辻井重男著(講談社)
『紳士の国のインテリジェンス』川成洋著(集英社、2007年)
『図解雑学 暗号理論』伊藤正史著(ナツメ社、2003年)
『大英帝国衰亡史』中西輝政著(PHP研究所、1997年)
『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注(岩波書店、1991年)
「Intelligence」9号(2007年)
「選択」2010年12月号
他多数

取材にご協力いただいた佐々木雅英氏、辻井重男氏、広田修氏、藤田亮氏にはこの場を借りて改めて御礼を申し上げます。

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