連載「暗号と暗号史」
【第6回】エニグマ解読~第2次世界大戦とコンピュータの誕生~
第2次世界大戦期の暗号機「エニグマ」は難攻不落のものとされていたが、やはり解読される運命にあった。その頃の日本ではどんな暗号が使用されていたのか? 「暗号と暗号史」第6回はエニグマ解読、その延長線上に誕生したコンピュータ、そして同時期の日本の暗号を紹介する。
解読のきっかけはポーランド
人は追い込まれなければその本領を発揮しない。第1次世界大戦後の1918年に独立を果たしたポーランドは、まさにその状況にあった。東に共産主義の膨張を目指すソ連、西には第1次世界大戦で失った領土の回復を目論むドイツという、どちらも領土的な野心ある国に挟まれていた。自国が生き延びるための情報収集の必要性に迫られていたのである。
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スクランブラー。この最初の位置をどう割り出すかが「鍵」となる(写真は10個だが、ポーランドが解読したエニグマは3個のもの) |
エニグマ解読に先鞭をつけたのは、こうした状況に置かれていたポーランドだった。同国の暗号局「ビュロ・シフルフ」の手元には、すでに市場に出回っていた商業用のエニグマがあった。また、フランスがスパイを通じて入手したエニグマの説明書も入手していた。
後は、暗号化の際に使われた鍵(スクランブラーの位置)をどう割り出すかである。エニグマ導入直後のドイツ軍は、下記の方法で毎日のエニグマの初期設定を指定した「日鍵」を設定して運用していた。
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図、ドイツ軍のエニグマ運用方法。日鍵は「コードブック」として事前に配布されていた |
ビュロ・シフルフに所属していた数学者マリヤン・レイェフスキ(1906年~1980年)は、同じ日に出された複数の暗号文を比較して、暗号文の冒頭に出てくる6文字が「メッセージ鍵を送るためで、3文字が2回繰り返されている」ことを発見する。これを突破口にして、スクランブラーの初期設定と文字の出現パターンの対応表を作成し、解読へこぎつけた。
しかし、当初は3個のスクランブラーで運用されていたドイツのエニグマも、1938年には5個あるスクランブラーから3個を選ぶ方法となり、プラグボード*1 の配線も6対から10対に増加した。こうなると、鍵のパターンは改良前に約1京あった鍵のパターンが、1万5000倍*2 にも膨れ上がってしまったのである。
ポーランドではエニグマ解読のため、「ボンブ」と呼ばれる解読機械を使用していたが、膨れ上がったパターンを割り出すには人員と予算で限界があった。
エニグマに手出しができなくなったポーランドを見越したかのように、1939年、ドイツは同国へ侵攻、第2次世界大戦が始まった。
>エニグマ解読を引き継いだ英国と「コンピュータ」の登場
ロンドン郊外にある「ブレッチレーパーク」。現在は博物館になっているが、第2次大戦中は、MI6(英国情報局秘密情報部)の拠点であり、エニグマ暗号との格闘が行われていた英国の「最前線」であった。
ドイツに侵攻される直前、エニグマ解読作業が続行不能となったポーランドは、資金や人材が充実していた英国にエニグマ解読の情報を渡す。エニグマ暗号で解読作業が立ち往生していた英国だったが、ポーランドから降ってわいた「遺産」を引き継ぎ、ブレッチレーパークでエニグマ解読に当たった。
ブレッチレーパークに集められた中でも、一際才能を発揮したのが数学者のアラン・チューリング(1912年~1954年)だ。1940年には改良したボンブを使用してエニグマの暗号解読に成功している。
また、彼はコンピュータの先駆けともいえる「コロッサス」を構想した。真空管を使用し、電気回路によって鍵の設定をはじき出すものである。1944年に完成した初代コロッサスはオーバーヒートなどの問題があったものの、改良されたMark2は故障も少なく、1秒間に読み取り可能な電気信号数が2万5000(ビット)であった。
こうして英国が解読したドイツ情報は「ウルトラ」と呼ばれ、終戦まで連合国にとって貴重な情報源となった。
付録:太平洋側の「暗号戦争」
ドイツと同盟を結んでいた日本は1941年12月8日に真珠湾攻撃を行い、米国との戦端を開く。開戦前には外交暗号が筒抜けで交渉の主導権を米国に握られてしまった。
外務省の暗号が破られたのは運用のミスと言われている。1937年まで使用していた「レッド暗号」(九一式印字機)、その後継である「パープル暗号」(九七式印字機)を併用したからだ。レッド暗号は解読されており、レッド暗号と同じ文面をパープル暗号でも送信したことで、平文とパープル暗号を比較できる環境を作ってしまった。
加えて戦時中は、ミッドウェー海戦敗北や連合艦隊司令長官 山本五十六の戦死に見られる日本海軍暗号の解読など、一般的に「日本の暗号は弱かった」というイメージが定着している。
だが、日本陸軍では、逆に米国の暗号を解読していた。第1次大戦後の1922年にポーランドの暗号専門家であったコワレフスキー陸軍大尉を日本へ招いたのを皮切りに、両国将校の交流を行うなどして、暗号技術水準も高かった。米国の暗号解読も積極的に行っており、陸軍が太平洋戦争前の米国国務省暗号のほとんどを解読していたことが戦後判明している。
機械で暗号を作り、コンピュータが解読を行っていた第2次世界大戦。暗号の研究者も、言語学者から数学者へと中心が移っていった。次回は、コンピュータの登場で新しい時代を迎えた暗号について紹介する。
過去の連載
暗号と暗号史【第5回】機械式暗号機の傑作~エニグマ登場~(2011/7/14)
暗号と暗号史【第4回】無線の登場と情報戦~第1次世界大戦の暗号解読~(2011/6/16)
暗号と暗号史【第3回】暗号史の中の日本~戦国時代の「上杉暗号」~(2011/5/19)
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注釈
*1:プラグボード
ドイツ軍が使用していたエニグマに施された、キーボードと1番目のスクランブラーとの間をつなぐ配線。変換パターンを増やす目的で作られた。「A」のプラグから「B」につなげば、1番目のスクランブラーには「B」として入力されることになる。
*2:1万5000倍
エニグマの組み合わせは
(スクランブラーの配置)×(スクランブラーのアルファベットの位置)×(プラグボード配線の組み合わせ)で決まる。
・スクランブラー3個でプラグボード6対の鍵の数
6×17576×100391791500→約1京
・スクランブラー5個でプラグボード10対の鍵の数
60×17576×150738274937250→約1京の1万5000倍となる。