情報処理技術関連の歴史的な製品を保存しようという試みから始まった「情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館」の認定式が3月9日、東京大学本郷キャンパスの小柴ホールで開催された。
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日本における「機械式の計算機」の歴史は、1900年代初頭までさかのぼることができる。しかし100年にわたる研究・開発の歴史があるにもかかわらず、その成果の実物の機器は大半が破棄されており、現存していないものも多い。
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認定式の様子。左は「分散コンピュータ博物館」に認定された東北大学サイバーサイエンスセンターのセンター長 小林広明氏、右は情報処理学会会長の白鳥則郎氏 |
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そのような歴史的遺産の減少に歯止めをかけるために、社団法人情報処理学会は、現存している製品やシステムなどを「情報処理技術遺産」、それらの製品を複数点にわたって保持している団体を「分散コンピュータ博物館」として認定を始めた。さらに認定した「情報処理技術遺産」や「分散コンピュータ博物館」をWeb上でまとめ、「コンピュータ博物館」の展示物として紹介するように制度を整えている。
2009年3月2月に第1回の認定式を行い、このときには23点の情報処理遺産と、2箇所の分散コンピュータ博物館が登録された。今回の認定式は、その2回目となる。
認定式に先立ち、情報処理学会会長の白鳥則郎氏は、「先人が築き上げてきた知恵や経験を伝承させていきたい」と語った。アメリカではすでにコンピュータなどの機械的な計算機に関する博物館が莫大な寄付金によって設立され、遺産の保存が進んでいる。白鳥氏は、これらが後進の教育や、子どもへの啓発などに利用されている例も併せて述べ、日本においても情報処理遺産の保存を進める必要性があることを改めて訴えた。
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今回認定された「分散コンピュータ博物館」の東京理科大学近代科学資料館に保存されているPC9801と「情報処理遺産」の初代一太郎 |
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今年の認定式では重要度・緊急度・保存状態から、戦時中に開発された「微分解析機」(1940年代前半製造)や、ソフトウェアとして初めて情報処理技術遺産として認められた「初代一太郎」(1985年製造)など11点の情報処理遺産と、2箇所の分散コンピュータ博物館が新たに認定された。
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また認定式の後には、コンピュータや機械式の計算機の歴史に関する講演も行われた。
東京女子大学の名誉教授を勤める水谷静夫氏は、1960年代のコンピュータを使って作成した用言などの活用変換に関するプログラムついて語った。
言語学の学者であった同氏は、初めて触れたコンピュータをとにかく動かしてみたいという思いから、「終止形を否定形に変えるプログラム」を制作した。しかしこのプログラムは、ほぼすべての用言の変換には成功したが、「ある」だけは「ない」ではなく「あらない」と誤変換してしまったという。水谷氏はこの失敗を通じて、コンピュータのアルゴリズム処理が一定のルール内で簡潔に行われているのに対し、言語は使用に際していかに複雑な処理を行っていたか、ということを痛感。以後コンピュータを言語学での研究に利用してきた。
同氏はこの研究の延長で得た、歴史的仮名遣いが現代仮名遣いに比べてアルゴリズムがはるかに単純だったとする結果を引用。「もっと早くこの実験が行われていれば、現代日本語の活用形の煩雑さは減少していたかもしれない」と語り、理系分野だけでなく文系の分野においてもコンピュータの活用が有効なことを示した。
このほか富士通顧問の山本卓眞氏が、過去に数十年間、海外と戦い続けてきた日本のハードウェアメーカーの歴史を持ち出しながら海外への展開を説くなど、新しいイメージが強いコンピュータの業界にも、すでに深い歴史が刻まれていることを改めて感じさせるイベントとなった。
関連リンク
情報処理学会歴史特別委員会委員長 発田弘氏インタビュー
社団法人情報処理学会
コンピュータ博物館
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