デジタル社会における著作権のあり方とは:HH News & Reports:ハミングヘッズ

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苗村憲司 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授に聞く 「デジタル社会における著作権のあり方とは」

駒沢大学グローバル・メディア・スターディーズ学部教授
苗村 憲司
「デジタル社会における著作権のあり方とは」

 音楽、映画をはじめとするコンテンツのデジタル化やインターネットの普及に伴い、その視聴方法、流通形態が様変わりしている昨今。このような時代の中で、権利者保護やコンテンツ産業の発展のために、著作権はどうあるべきか。情報通信技術の権威であり、著作権法改正にも尽力されている―駒澤大学 苗村憲司教授にお話をうかがった。

デジタル化に伴う著作物の劇的変化

―著作権問題は、市民生活への影響もダイレクトで世間からの注目も高いですが、そもそもこの問題にはどのような背景があるのでしょうか。

駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部 苗村憲司教授
駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部
苗村憲司教授

苗村氏 これまでも映画やレコード、CDなど新しいメディアが登場する度に、その技術進歩に応じて著作権法は見直されてきました。しかし20世紀の終わりから21世紀にかけての今、著作権制度そのものを根本的に見直すべき時期に差し掛かったことは疑いようがありません。

 その最大の理由はもちろん、コンピュータやネットワークの登場です。従来の技術では及びもつかないスピードでの複製・配信が可能になり、しかも複製されたものはオリジナルと品質的にもほとんど区別がつきません。それが可能になった時代では、著作権制度そのものを見直さなければいけませんし、実際に本当に多くの議論や提案がなされています。


苗村氏 私は、慶応大学に移った1992年頃から「著作権の根本的な見直しをするべきだ」という主張をしてきました。もちろん急な変更はできませんので、5~10年は制度のマイナーチェンジで対応して、その後に大規模な改革をするべきだと。そして今、まさに改革の時期に差し掛かったわけですが、そのための各方面のコンセンサスが非常に得にくいというのが現状です。

 その理由はまず、現在の法制度を前提とした確固たるビジネス環境ができ上がってしまっていて、いきなり「ルールが変わります」と言われても、すぐには次のビジネスモデルを整備できません。レコード会社や映画会社、創作活動を行う人々も皆、法制度を前提として動いているのでその改革が難しい。
 さらに昨今のようなデジタル時代であっても、従来とビジネスモデルが変わらない領域がある、という事実も問題を複雑にしています。新聞や書籍関連などがそうですが、従来型の印刷技術を使ったビジネスモデルはまだ当分続くと思いますし、その流れを壊すわけにはいきません。

 既存コンテンツとデジタルコンテンツ、このあまりにも性質が違うものを同じ法で取り締まること自体が困難です。しかしどちらにも適切な保護を行い、さらに積極的に活用されるよう、利用者側の利便性も考える。そういう複合的な制度を考えていかなければならないのです。

著作権制度をめぐる議論

―現状の著作権の問題はどこにあるのでしょうか。

 たくさんありますが、1つはあくまでも著作者が完全な独占権を持っているという点だと思います。例えば私が映像コンテンツを作れば、私は利用者ごとに料金設定や使用期間を決定できます。これも出版事業がベースの考え方なので、インターネットでも同様に適用しようとすると無理があります。

 インターネットの原型は1960年代に米国で作られたのですが、もともとの考え方があくまでも研究、教育用の情報を皆で共同利用するためのものでした。従ってインターネット上のものは、著作権の対象にしないという前提でスタートしました。
 しかも当時の米国の制度では、著作権を主張するには登録をする必要があったので、インターネットに乗せるコンテンツは、コンピュータプログラムでも映像コンテンツでも、著作権登録をせず、皆で共有して利用することになっていたのです。後に米国の著作権法が変わりましたが、その後、無料で使われるのが嫌ならば、アクセスコントロールすればいいという考えになりました。
しかし日本では法律上はそうなっていません。誰もが自由に閲覧できるものでも、ダウンロードすれば形式的には権利侵害にあたります。

 典型的な例は新聞記事で、今ほとんどの新聞記事はインターネット上で無料閲覧できるようになっています。しかしダウンロードすると形式的には権利侵害になります。法律上は、閲覧は自由ですが、業務目的でのダウンロードは権利侵害になる。しかしそのような法律は現実的ではありません。
著作権問題について語る苗村氏
著作権問題について語る苗村氏

―その他の対立構造にはどのようなものがあるのでしょうか。

苗村氏 そもそも著作物に関するビジネスをどう捉えるかという問題があります。
 極論になりますが、まず1つは著作権を完全にビジネスソースと考える場合。米国でも音楽、映画の興業が世界トップですし、コンピュータソフト分野でも莫大な利益を生んでいます。
 そういった利益を上げるためには、当然セキュリティ技術などを使って、音楽にしても無料でダウンロードできないようにする。もし違法なコピーをしている人がいれば刑事罰にするとか、そういう議論になるわけですね。

 もう1つが、いわゆるオープンソースとかクリエイティブコモンズの考え方で、著作物を作るという人間の創作的活動は、言うなれば天才的能力を持った人がやることで、それで経済的利益を得ることがむしろ悪だという考え方。
 その典型的なものがコンピュータプログラムで、経済活動など様々な分野で社会に貢献します。それを独占するのはおかしい、皆で共有すべきで、作った人はそれを無料でいわゆるフリーソフトまたはオープンソースとして配布すべきという考え方です。コンピュータプログラムに限らず、音楽、小説、映像も、世の中すべての人に自由に利用させるようにするべきだと。特に非営利目的の利用は自由にさせる方向で仕掛けています。
 そういう運動に賛同する人々は日本にも多く、その理論では著作権で儲けることは悪だということになります。クリエイターが最低限生活できる程度のお金は得ても構わないが、コンピュータソフト会社やハリウッドの映画会社のような派手なやり方は倫理的に間違っているということになります。

 この両者が互いに譲らないので、本来の制度のあり方が議論できないという側面はあります。資本主義と共産主義のようなもので、単純に折衷はできませんから。両方が戦ってどちらかが負けるか、もしくは両方が負けて初めて解決策が出てくる、そういう類のことだろうと私は考えています。

「私的録音・録画補償金制度」の効能と問題点

―iPodの登場も著作権の議論を白熱させましたよね。

 まさにiPodは、著作権をめぐる問題の1つの図式として成り立っています。iPodが発売された当初、アップル社はiTunesから音楽をダウンロードするという図式で売り出しました。しかし日本ではiPod発売当初はJASRAC*1との交渉がまだ成立しておらず、iTunesのサービスを開始できませんでした。

 さらに日本は米国と違い、CDレンタル店がたくさんありますので、iPodは音楽を無料でコピーして楽しむものとして広まってしまった。その後、日本でもiTunesのサービスが始まりましたが、手持ちのCDや借りたCDをコピーする図式は変わりませんでした。
 音楽著作権の権利者側からすれば何とかそれを食い止めたい。しかしどうやっても流れは止められないからせめて最低限の私的録音・録画補償金制度の適用をということで、3年ほど前から議論が始まりました。しかしいまだに決着がつかず、iPodには補償金がついていません。

―苗村先生もかかわられている「私的録音・録画補償金制度」(以下、補償金制度)の適用に対しては、どのような議論があるのでしょうか。

苗村氏 これはいわゆる折衷案で、さきほどの資本主義と共産主義で例えましたが、それでいくと補償金制度は社会民主主義でしょうか。このように皆が「まあやむを得ないか」と納得する一定金額を払うというのは1つの解決策です。しかし折衷案ですから、どうしても互いに不満が出てきます。

 3年ほど前にこの制度の見直しに関する議論が始まった当初、5~10年の間は補償金制度をiPodにも適用するのが現実的だと考えていて、私も賛同する発言をしていました。しかしどうも世間の合意が得られない。

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