少子高齢化への社会変化の中で、急増する医療費適正化手段の1つとして、効率の良い医療インフラの形成が考えられている。その手段として日本では「医療の情報化」を目指しているが、一方で情報化に移行する際の課題も浮き彫りになってきた。「情報化」についての経緯と展望を、厚生労働省 政策統括官付社会保障担当参事官室主査 中安一幸氏にお話をうかがった。
医療の情報化における背景
―まず業務の内容などについてお話しいただけますか?
厚生労働省 中安一幸氏
- 中安氏 厚生労働省医政局の医療機器・情報室を経て、現在の役職を拝命しました。これまでも医療の情報化に携わってきましたが、今の部署ではそれを含めて俯瞰的に見るような、社会保障全般の情報化を目指していきたいと思っています。医療情報に携わった経験からは、技術面のみならず法制度、規制と情報化のあり方について考える仕事ということになりますね。
―医療の情報化における法制度、規制と情報のあり方とは具体的にどのようなものでしょうか?
- 中安氏 e-文書法*1や個人情報保護法など情報化そのものに直結しているような法制度と、医師法や医療法といったIT化の波が訪れる以前から存在した規制について、ITとの関係性の整理が必要です。IT化が進んできた現在、以前に作られた規範や規制はIT化の阻害因子という意見すら聞こえてきます。
しかし規制で守られていたものがある以上、技術が進化したからといってないがしろにはできません。さらなる情報化を進めるにあたり、制度改正も必要かもしれませんが、制度を緩めるなら技術側でそれを担保できるという安全性の検証もする必要があります。
―医療の情報化とは?
- 中安氏 具体的にはEMR(Electronic Medical Record)、日本では電子カルテとも呼ばれる、診療録を電子的に保存蓄積する装置があります。医療機関で医療を行っていくための基幹システムという位置付けになりますね。
同じ院内でも部門ごとの情報機器、計測機器などは、多様なベンダーが作ります。ところが診療室の電子カルテ端末から各部門の機器に電子的な指示(オーダ)を出す際に、機器ごとにメッセージを変える手間を省くため、メッセージタイプの標準化をします。複数の機器を一体であるかのように扱える「相互運用性が確保された状態」を作るために、用語や情報機器上で扱うコードなども標準化が必要になります。医療の情報化には必須です。
こういう取り組みは医療機関内の部門間だけではなく、地域における「医療機能の分化と連携」においても同様に重要なのです。
診療所で患者さんを最初に受け入れ、適切な治療法を判断して専門医療に特化した病院を紹介します。そのためには診療所で診た患者さんのレポートを次の専門病院で確実に読めるようにする必要があります。医療機関内の標準化・相互運用性を、地域の医療機関間にシフトするという感じです。
メッセージを伝える際には、情報の電子化と構造化が重要になります。構造化とはメッセージを格納しておき、文書を作る際に格納場所からメッセージを引き出せるようにすることです。これにより再入力の手間が省けるほか、表記ミスを減らせます。
誤記誤読は医療では致命的です。薬の分量「2.5」を「25」と読み間違えただけで、患者さんに大きなダメージを与えてしまうこともあります。情報を加工せずに使うということは、伝言ゲームに介在する人数を減らし、ヒューマンエラーの防止やペイシャントセーフティーに繋がるわけです。
理解されない「why」「what for」
―すばらしい話ですね。
- 社会的背景について話す中安氏
- 中安氏 「何故まだできていないのだろうか? 厚生労働省の怠慢ではないか」と思われるかもしれませんね。
それはその必要性について、十分な理解が得られていないからでしょう。「標準化」とは一定の決まりごとの枠の中で運用していきます。「意義」や「大義名分」がない限り、決まりごとの枠にはまるのを嫌う人は出てくるでしょう。
また現在は、社会の風潮から長い説明や文章が受け入れられなくなっているため、歴史や背景の説明は省き「how」から入らざるを得ない状況にあります。「why=なぜ」、「what for=何のために」つまり「医療安全のために」「効率化のために」という「意義」や「大義名分」もなく、「標準化が必要です」という、「how」の説明だけで理解を得るのは難しいです。それに私たちも説明が上手ではなくなってきたのかもしれません。
また今日電子化したら明日からIT化のメリットがすべて享受出来るわけではありません。情報を蓄積し、集計、分析した結果、ようやく成果を得られるため、入力中、ITは無駄で非効率な投資だと感じるかもしれません。
―情報化によるメリットについて理解を得るのが難しいのですね。
- 中安氏 幅広く活用できる標準化されたデータは、保持し続けてこそ意味があります。情報の寿命は長く、機器が更新される際には相互運用性が重要になります。だから医療の情報化への取り組みというのが進められているわけです。
IT化は投資した直後に効果が見えず、使いこなすまで従来の仕事量10に加えて、IT化したことで、入力や読み取りの業務で仕事が1か2増えるでしょう。
しかし社会全体がIT化を果たせば、自分が情報を入力することが伝送先の誰かの入力業務の軽減につながり7や8に仕事量が減るかもしれない。さらに10年分の記録から特定の情報を探し出す場合、紙の束をひっくり返すことに比べて検索効率が飛躍的に高まります。
このように「IT化」によるメリットとして挙げられている「医療費の適正化」ですが、この2つの関係は擬似相関とも言えるでしょうね。
―どういうことでしょう。
- 中安氏 医療費の抑制は、「IT化により医療情報の検索可用性が高まり、蓄積された情報の活用方策が確立されることで『医学の向上』や、『患者の理解や参加』が進んだ結果」として行われるため、IT化と医療費が直接の因果関係にあるとは言い切れないのです。直接の因果関係と言うと、医療費の適正化とか医療安全で問題が発生した場合、IT化だけのせいだということにもなりかねません。
もちろん医療費の適正化や医療安全の実現はIT化により目指すところであるのは事実ですから、「医学の向上」など医療費抑制とIT化の間にある課題点を解決することも併せて進める必要があります。
―多方面と連携することでスケールメリットが見えてくるわけでその際に電子情報のオンライン化も必要になるわけですね。
効率化について話す中安氏
- 中安氏 例えば、月末に月内の診療でかかった保険料を請求するための書類「レセプト*2」をオンライン化すると、今までレセプトの出力や物流や運搬にかける手間を省けるという効率化の恩恵を受けられます。
レセプトのオンライン化のために保険局が出したガイドラインでは、オープンネットワークはセキュリティ上の問題があるという要請から「レセプトを送るための閉鎖網*3(IP-VPN)を作りなさい」としていました。この閉域網は他の用途に使うことを禁止されているため、送信に使う1日以外の29日間は使用していないというもったいないことになります。
さらに現在はブロードバンド化が進み、安価にネットワークを引くことができます。そのような選択肢があるのに情報が漏洩する危険性があるとして、別の閉域網を調達するのはもったいない。暗号化や接続時のセッション認証などの手法を適切に組み合わせれば、閉域網に遜色ないセキュリティがオープンネットワーク上でも作ることができます。閉域網が悪いといっているのではありません。既にあるインフラを使うという選択肢を残したいわけです。
「レセプトのオンライン請求に係るセキュリティに関するガイドライン」が、ネットワークの選択肢について「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」を参照するかたちでこの件は一応決着しました。しかし連携して情報を共有しようとしたときに、今度は「あの情報はこの機関と共有していいものかどうか」というコンテンツとしての制度的な問題が出てきて、個人情報保護の問題にも関わって繋がってくるわけですね。