デジタル・フォレンジックや、通信と放送の融合におけるデジタル・コンテンツの話題も交えながら、インターネット上の法規制の重要性とは何か、株式会社情報通信総合研究所(ICR)の小向太郎上席主任研究員にお話をうかがった。
デジタル・フォンレンジックについて
―デジタル・フォレンジックに対するお考えをお聞かせください。
- 小向氏 デジタル・フォレンジックとは、電子的記録の証拠保全や分析調査、情報収集等を行う一連の科学的、調査手法・技術のことです。つまり、法廷の場で「電子的な証拠」を証拠として承認を得るための調査手法・技術、として理解されています。
しかし、法律面の課題となる基本的な論点が3点あります。第一にそもそも電子的な情報が証拠になるのかという点、第二に取り扱う方法によって証拠として有利になったり不利になったりするのかという点、第三に証拠として使うことが法的に許されないような場合はないか、という点です。
デジタル・フォレンジックが注目を集めている背景には、デジタル情報が広く使われるようになり、周辺の法律や制度も実態に即したものに変わっているという事情があります。
デジタル・フォレンジックに関して、法制度面で第一に検討すべきことは、証拠として法廷に出すことができるための要件です。我が国では、デジタル情報がどういう形で出てくれば証拠として認められるのかについて、必ずしも明確な議論がありません。
フォレンジックの法制度について語る小向氏
- デジタル・フォレンジックの技術は「証拠となるデータを探してそれを分析する技術」と、「それを証拠として確かなものに固定する技術」の2つがあります。どうしてもデジタル・フォレンジックというときに一般の方が興味を持つのは「探して分析する」技術なのですが、本来法律的に重要なのは、それを証拠として正当なものとして保障するための技術の方です。証拠として扱われる情報は、きちんとした手続きを踏み、技術的にも情報が改ざんされていないことを保障することが重要です。
日米のフォレンジック活用度の差
- 一方アメリカでは、裁判上の証拠として電子情報を扱う場合には、真正性を担保するための手続きをしていなければ証拠として認められにくいと言われています。日本の場合、裁判官が電子情報を扱うということに必ずしも慣れておらず、法律でも最低限の手続が義務付けられていません。我が国では、自由心証主義に基づき裁判官が信用するかどうかに大きく依存しています。そのあたりは今後議論していく必要があると思います。
フォレンジックの日米の差について語る小向氏
- 本来あるべき姿としては、電子情報がどんな場合でもしっかりと扱われているということを、後からでも確認できるような制度を考えていかなければなりません。そういう方向でルールとして義務付ようという議論が、今の日本ではあまり強くないと私は認識していますので、今後の課題だと思います。
刑事裁判では捜査機関が採集した証拠は間違いないものだと考えられることが普通です。もちろん、捜査機関が基本的にきちんとした捜査を行っていることは疑いないのですが、電子情報のような改ざんが容易なものを証拠として扱う際には、その正当性を客観的に保障できるようなルールも必要なのではないでしょうか。民事訴訟でも、例えば元社員と会社といった個人対企業の争いでは、個人の立場は弱いのです。不適当な表現かもしれませんが、裁判官も大企業が提出してきた証拠を信用する可能性が高いと思うのです。
日本とアメリカのフォレンジックを考えると、基本的な裁判制度の違いも背景にあると思います。
―具体的にはどういうことでしょうか。
- 小向氏 アメリカは日本に比べて裁判で実質的に争われる範囲が非常に広いです。民事事件として提起される事件数も多いですし、個人としての立場で企業等に対して訴訟を提起する人も日本に比べれば多いです。証拠として正当かどうかについての議論も日本と比べて蓄積があります。また、アメリカの刑事裁判では被告人が無罪となるものも多く、99%以上が有罪となる日本の刑事起訴と比べて証拠の正当性についても争点になる場合が多いと考えられます。
そもそもアメリカは、弁護士の数が日本に比べて多いですし、司法機関の果たす役割も異なります。
ただ、大まかな方向性として、刑事も民事も、人権保障をきちんとして互いの権利をきちんと主張できるようにする、刑事であればきちんと真実を解明することと、被疑者・被告人の人権保護のバランスをとるということが一番の目的です。したがって、長期的に見ればこうしたルールが整備されてくると思います。
インターネット上の法規制
―日本でのデジタル・フォレンジックについてはいかがでしょうか。
- 小向氏 最近では、大きな捜査などでデジタル情報などが使われ、話題になっています。捜査機関で証拠としてデジタル情報を挙げることが議論になってルールが明確になっていけば、デジタル・フォレンジックを活用する側もやりやすいのではないでしょうか。
犯罪や、犯罪には至らない問題行為全般にも言えることですが、サイバースペース、インターネットが広く使われるようになって人々の生活も変わりました。そういった中で、サイバー犯罪の法的な問題は2つに分かれます。「新しく犯罪類型として処罰の対象にすべきものがあるかどうかということ」と、「犯罪に該当する行為がなされたときにきちんと取り締まりができるかどうかということ」です。
インターネットの掲示板に犯行の予告があっても対応ができないのは匿名掲示板があるためで、その存在自体が問題だという意見がありましたが、それは違います。誰が書き込んだかわからない掲示板を禁止すべきかどうかということを議論するよりは、犯罪を防ぐにはどうしたらよいかということや、実際に犯罪が起きてしまった後の捜査の対応がきちんとしているかどうかを議論すべきだと思います。現実に犯罪予告が行われれば、その発信者が逮捕されている例も多いわけです。
インターネットに代表されるデジタル・ネットワークの世界は、必ずしも匿名ではないのですが、証拠が消え去りやすいところがあります。民事訴訟や刑事訴追をするというときに、本当に問題のある行為が行われた場合に法的権利や取り締まりができるかというところは議論していく必要があると思います。今のところ、刑事事件については強制捜査手続きがあります。それについては以前から警察の技術力が向上すれば対応できるという側面がありました。
しかし警察の技術力や運用力が上がると、犯罪者の技術力もそれに対抗して向上してくるため、警察側も規制を増やさざるを得なくなります。例を挙げれば、金融機関の本人確認法*1が制定されたり、携帯電話の1人当たりの保有台数が限定されるようになったのも、これらに関係する犯罪の増加が背景にあります。法的規制の対象にはなっていませんが、誰が使うかわからないネットカフェの端末を誰が使ったか記録に残せ、という意見があります。
情報の取り扱いに関する法的規制全般に関して言えば、従来は情報の発信に関する議論が中心だったのですが、収集、保有、発信という情報の取り扱い全般について議論がされることが多くなっています。
情報の取り扱いに関するルール
出典:小向太郎 『情報法入門 - デジタルネットワークの法律』 NTT出版、2008年、81頁
- また、例えば個人情報に代表される情報の漏洩等について、今はどちらかというと監督監視を強める方に世間の目が向いています。しかし、日本では、少なくとも10年ぐらい前は個人情報に対する意識がそれほど高くなかったのです。個人情報保護法ができたときには、個人情報に関する世間の考え方が瞬時に変わってしまいました。個人情報保護法の成立によって、過剰反応とも言われる状況も生じています。従業者に対する監督が従業者のプライバシー保護の観点から問題だという意見が強くなり、監視が非難されることも十分あり得ます。本来、個人情報についても保護と利用のバランスが重要なのであり、常にバランスを失していないかと言うことを気にしておく必要があります。