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発田 弘 情報処理学会歴史特別委員会委員長に聞く
「コンピュータ博物館」で過去の技術を伝える意義とは

情報処理学会歴史特別委員会委員長
発田 弘
「『コンピュータ博物館』で過去の技術を伝える意義とは」

 約半世紀の歴史を持つコンピュータ技術専門の学会である情報処理学会は、2001年よりWEB上に「コンピュータ博物館」(http://museum.ipsj.or.jp/)を展開。そこでは日本におけるコンピュータの進化に大きく貢献した、過去の重要な技術や製品、人物の記録などが数多く紹介されている。だが、その展示はすべてWEB上のバーチャルなもの。実物の「コンピュータ博物館」は未だ作られておらず、WEB上に掲載されている展示品の実物は各地に点在もしくはすでに失われている。

 そこで情報処理学会は2009年2月23日より、実機が現存する過去の貴重な日本製コンピュータを「情報処理技術遺産」、それらを小規模ながら収集している組織・施設を「分散コンピュータ博物館」として認定する制度を開始。貴重な実機史料の保存と継承、そして実物の「コンピュータ博物館」設立に向け、大きな一歩を踏み出した。

 その狙いは何にあるのか、今回の認定制度とWEB上の「コンピュータ博物館」を運営する、歴史特別委員会委員長の発田弘(はったひろし)氏にお話をうかがった。

「情報処理技術遺産」および「分散コンピュータ博物館」認定制度とは

情報処理学会歴史特別委員会委員長 発田 弘氏
情報処理学会歴史特別委員会委員長 発田 弘氏

―今回「情報処理技術遺産」と「分散コンピュータ博物館」の認定制度が発足したことには、一体どのような背景があるのですか?

発田氏 情報処理学会では2001年からWEB上で「コンピュータ博物館」を展開し、そこでは日本の古い貴重なコンピュータを、写真と解説付きで掲載しています。その中で、実物が存在しているものについては、どこに行けば見られるかというような情報も整理し提供し続けています。

 しかしそれだけでは、実際に貴重な遺産を持っている人たちにとって、それを保存していこうというモチベーションにはなかなかなりません。「コンピュータ博物館」に掲載されていても、昔のコンピュータは巨大なものが多く保管が困難なことも手伝い、実物は徐々に捨てられているのが現実です。

 そこで、貴重な遺産を持っている方々に対し、少しでも保存に努力していただけるような制度をと思い、2009年2月23日から新たに「情報処理技術遺産」と「分散コンピュータ博物館」の認定制度を開始し、3月2日に行った第1回目の認定式では23件の「情報処理技術遺産」と2件の「分散コンピュータ博物館」を認定しました。

 この制度では「情報処理技術遺産」や「分散コンピュータ博物館」を実際に所有または展示している方々を表彰し、その情報をWEB上でも公開しつつ、表彰を受けた方々には「保存に努力いたします」という一筆を入れていただいています。

 なお、「情報処理技術遺産」と「分散コンピュータ博物館」の認定については、今後も調査を続け毎年追加していきます。今回の認定にあたり100件以上をリストアップしましたが、その中で今回間に合わなかったものは数多くありますので、そういったものを次に、2010年3月9日の情報処理学会50周年記念全国大会に合わせて数件追加する予定です。

―今回の認定にあたり重視したポイントは?

発田氏 まずは、古いこと。もちろん単に古いだけでは不十分で、当時の世の中に対し非常に大きな影響を与えた、技術的にひとつのエポックを築いたなど、技術上・歴史上の意義が不可欠です。特に重視したのは「世の中にほとんど残っておらず、放っておくと捨てられてしまうかもしれない心配がある」ということです。そういうものは、今回優先して認定しました。

―この認定制度を立ち上げる際に、ご苦労されたことなどはありましたか?

発田氏 まず、こういう古い貴重なものは所有関係が複雑です。所有権を持つ人のほかに、その人から委託を受けて保管している人、さらにまた委託を受けて実際に展示している人が別々にいる場合がある。そうすると、認定を表彰する際に誰を表彰するのかという話になり、実際にそれで揉めた方たちもいますね、「私ではない」「私が受けるわけにはいかない」と。

 それから、苦労したというわけではありませんが、他分野の認定制度で認可されたものと、遺産が重複してしまうこともあります。例えば、今回「自働算盤」という日本初の手回し式機械式計算機を「情報処理技術遺産」に認定しましたが、これは計算機である一方、中のメカニズムは機械で出来ている。ですから、日本機械学会からも「非常に貴重な遺産だ」ということで、我々が認定する前に「機械遺産」に認定されました。

自働算盤
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<自働算盤>
飛行機及び卓上計算機の研究家・矢頭良一氏(1878~1908)が発明した、日本最初の機械式卓上計算機。1903年の特許取得後に製造が開始され、乗除算における自動桁送りや計算終了時の自動停止機能を備えるなど、当時の海外製計算機より優れた機能を備えていた。現存する自働算盤は1904年頃に製造されたもので、矢頭氏の子孫にあたる梅田利行氏が所有、福岡県北九州市の北九州市立文学館で公開されている。(写真提供:国立科学博物館)

MARS-1
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<MARS-1>
1950年代後半に、国鉄鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)の穂坂衛氏(1920~)を中心として開発。1960年から世界初の列車座席予約システムとして、東京~大阪間の特急列車の座席予約業務が開始された。当初は特急4列車・3600座席の15日分を対象とし、東京駅や上野駅など9ヶ所で予約業務が行われたが、1961年には名古屋駅と大阪駅にもサービス範囲が拡大された。現在はJR東日本が所有し、埼玉県さいたま市の鉄道博物館が所蔵して中央処理装置を公開中。(出典:「情報処理技術遺産」パンフレット)


 ほかにも、当時の国鉄が開発した世界初の列車座席予約システム「MARS-1」、これもコンピュータですから「情報処理技術遺産」に認定しました。しかし電気と鉄道は非常に密接な関係があるため、こちらもやはり電気学会が先に表彰しています。

―今回認定された23件の「情報処理技術遺産」の中で、発田さんご自身が特に貴重だと思うものは何でしょうか?

発田氏 富士通製の「FACOM128B」という、リレーを使ったコンピュータです。なぜ貴重かというと、この「FACOM128B」は、今でも動かすことができるからです。動態保存されているコンピュータの中では、恐らく世界最古でしょう。

FACOM128B
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<FACOM128B>
1958年に富士通信機製造(現・富士通)の池田敏雄氏(1923~1974)が開発した、リレー式商用コンピュータ。CPUに5000個、メモリに1万3000個のリレー(写真)を使用しつつ、一時的トラブル発生前の処理をリトライする自己検査機能を備えることで、高い信頼性を確保した。その結果、国産旅客機YS-11やカメラ用レンズの設計など、実用性の高い商用コンピュータとして産業界で広く利用された。現在は富士通沼津工場内の「池田記念室」に展示されており、事前に予約すれば「FACOM128B」が実際に動く様子を見学することが可能だ。(出典:「情報処理技術遺産」パンフレット)


 リレーとは電磁石に流す電流によって接点を開閉するスイッチのことです。リレー式コンピュータは、この特性を利用してリレーで論理回路を構成しています。ですから動くとガチャガチャとすごい音がしますが、リレーが動いて、計算して、結果が出てくるという過程を実際に沼津工場で見た時は、実に感動したものです。

 このリレー式コンピュータを動態保存するために、富士通ではチームを作っていますが、もう修理するための部品の完全な入手は出来ないので、他の古い装置の部品から流用したり、場合によっては設計図に従って部品を手作りしながら保守しているそうです。ですから動く状態で見ることができるのは、もしかしたら今のうちかもしれませんね。

コンピュータ遺産保存の意義

―発田さんはなぜ、こうして過去のコンピュータ遺産の保存に取り組んでこられたのでしょうか?

発田氏 いくつか理由がありますが、1つは私を含めたコンピュータ開発技術者が、過去に設計や開発に携わってきたものの大半は、すでに失われてしまっているということです。

 とくに大型コンピュータはほとんどがレンタル制で、新しい機械が発売されると、古い機械はそれと入れ替える形でレンタル会社に返却される。するとレンタル会社はその機械に対し愛着を持っていませんから、すぐに捨ててしまいます。しかも技術の進歩が早すぎて、最新のコンピュータも2~3年で古くなりますから、その繰り返しで過去の実機はあっという間になくなってしまうのです。

 古いコンピュータは、開発側の人間が見れば開発者の苦労もわかりおもいのですが、一般のユーザにはあまりそういう愛着がありませんから、持っていても価値がないということで捨てられてしまいます。そんな現状に、多くの技術者たちが寂しい思いをしているというのが、元々の発端ですね。

 もちろん、そうしたノスタルジーだけで昔の貴重なコンピュータを保存するわけではありません。子供や若い人たちにコンピュータの原理を理解してもらうきっかけになることも、重要な意味の1つに挙げられます。これは2008年の夏、米国のシリコンバレーにある「コンピュータ・ヒストリー・ミュージアム」を調査のため見学した際に、強く感じたことです。

 古いコンピュータを見ると、例えば磁気ディス一つ取ってみても、大きな円盤がグルグル回っていますから、その原理が非常にわかりやすい。そして最新のPCと見比べると、技術が進歩した結果として、今は小さくなっているということがわかります。

 コンピュータの原理を十分に理解してもらうには、やはり新しい機械より、古い機械の方がわかりやすいのです。そういう意味でも、一つの教育材料として、古いコンピュータを残していく意味は大きいと思います。

 その一方、米国などが非常に熱心にそういう古い実物を保存しようとしていることで、日本のコンピュータが数多く米国に行ってしまっています。「コンピュータ・ヒストリー・ミュージアム」では実際に「NEAC-2203」というNEC製のコンピュータが展示されていました。

NEAC-2203
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<NEAC-2203>
磁気ドラム装置の周辺回路すべてにトランジスタ(ゲルマニウムやシリコンなどの半導体を用いた増幅器・スイッチ)を使用した「NEAC-2203」は、1959年にNECが開発。日本では東海大学で1961年製のものが保存・公開されている。写真は米国シリコンバレーの「コンピュータ・ヒストリー・ミュージアム」に展示されている「NEAC-2203」と発田弘氏。


 この「NEAC-2203」の場合は辛うじて1台日本にもあり、今回「情報処理技術遺産」にも認定しています。しかしその一方で、日本製品でありながらもう日本では見られない遺産があることも、寂しい話だと思います。当時のエンジニアたちが残した開発成果が、同じ日本人に価値が認められず、その結果米国に行かなければ実物が見られないのですから、これ以上日本のコンピュータをそういう状態にはしたくない、という想いがあります。

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