IFRSをめぐる議論と日本の取るべき施策:HH News & Reports:ハミングヘッズ

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平松一夫 関西学院大学教授に聞くIFRSをめぐる議論と日本の取るべき施策

関西学院大学教授
平松 一夫
「IFRSをめぐる議論と日本の取るべき施策」

 世界共通の会計基準を実現するIFRS(International Financial Reporting Standards 国際財務報告基準、通称:国際会計基準)に注目が集まり、各国の動向やその対応策において活発な議論が行われている昨今。その取り扱いをめぐる議論の背景と、日本が取るべき施策について、ASBJ*1にて会計基準の整備にも尽力されている関西学院大学 平松一夫教授にお話をうかがった。

関西学院大学 平松一夫教授
関西学院大学 平松一夫教授

IFRS(国際会計基準)の背景

―昨今話題のIFRSですが、そもそもどのような背景で生まれたものなのでしょうか。

平松氏 1970年代からすでに、会計基準を世界共通にしようとする動きはありました。その背景には、企業活動の国際化・グローバル化というものがあります。事業の海外進出は、まず製品を売買する「貿易」から始まり、次のステップでは現地に子会社を置いて現地で「生産」を行うようになる。そして金融市場の国際化、つまり海外で「資金調達*2」までされるようになりました。
 しかし「貿易」「生産」「資金調達」と経済活動の国際化が進んだにもかかわらず、各国がそれぞれ異なる会計基準で処理を行っていたのでは、不都合が出てきます。これでは経済活動の阻害要因になってしまうということで、世界規模の問題に発展していったのです。

平松氏 そこで当初はまず、各国の会計基準の「違い」を研究するという所から始まり、1973年にIASC(国際会計基準委員会、現在のIASB国際会計基準審議会*3の前身)が設立されました。それが世界の会計基準を作ろうという動きの出発点になります。
 現在日本においては、日本基準と国際基準の差異を埋めるためのコンバージェンス(収れん)作業が行われており、将来的にはおそらくIFRSをアドプションする、つまり財務諸表を作るための会計基準としてIFRSを採用し適用する、という流れになると言われています。

国際会計基準をめぐる議論の変遷
国際会計基準をめぐる議論の変遷
(クリックすると拡大します。)

―40年近くかけて議論されている問題なのですね。

平松氏 しかしそれが長い間、ほとんど議論が進展しなかったのです。と言いますのは、米国は米国基準が一番優れていると主張し、日本は日本基準でなければ困ると主張するなど、各国の意見のすり合わせができなかったことが原因です。IASCも国際会計基準を制定しましたが、ほとんど採択されないという有り様でした。
 しかし国際化が進む中で、各国の基準が統一されていないという状態を放っておくわけにはいきません。そこで1997年にIOSCO(証券監督者国際機構)*4、が国際会計基準の支持を表明しました。つまり世界で会計基準を統一する方向で努力するようにという、お達しが出たのですね。それをきっかけに活動が具現化し、2001年IASB(国際会計基準審議会)が設立され、ようやく世界が1つの基準に向けて動き出したのです。

―各国のIFRSをめぐる動向にはどのようなものがあるでしょうか。

平松氏 まず2005年からEU域内上場企業において、連結財務諸表へのIFRSのアドプション(採用)が決定されました。これはEU域内の企業だけではなく、EU域内へ資金調達に来ている外国企業についても同様にIFRSを採用するという決定でした。外国企業については当初は2007年からの適用予定でしたが、延期されて2009年、まさに今年から適用となるのですが、ヨーロッパで盛んに資金調達を行っていた日本企業はこの決定に大慌てしました。

 実は1960~70年代、日本企業が勢いを持ち、その成長力が高く評価されていた時代は、ヨーロッパ、特にスイスでは日本基準の財務諸表でも認可されており、さらに言うと一部の優良企業の私募債*5については財務諸表すら要らないという時代もありました。今ではとても考えられませんが。そういう時代もあったため、日本としては非常に活動しやすかったのです。

 米国は財務諸表の規定が厳しいですから、SONYをはじめとする限られた大手企業しか米国での資金調達は行いませんでした。そのため、日本企業の圧倒的多数がヨーロッパ諸国、チューリッヒやフランクフルトといった所で資金調達を行っていたのです。どちらかというと、資金調達は米国よりヨーロッパでという雰囲気でした。
 そういった事情から、ヨーロッパでの決定を受けて、日本としては早急にIFRSとの調和を図る必要があるということで、日本もIFRSに向けて大きく動き始めたのです。

IFRSをめぐる各国の動向

―日本もようやく重い腰を上げたわけですね。

平松氏 もう少し厳密に言うと、ヨーロッパは「IFRSか、又はそれと同等の会計基準を適用しなさい」と言いました。このとき、多くの国はIFRSを採択しましたが、日本は「同等…」の方を選んだわけです。日本の会計基準が同等と認められれば、日本企業は日本基準で財務諸表を作成することができる。そのための動きが今のコンバージェンス(収れん)です。
国際会計基準をめぐる世界の動向
国際会計基準をめぐる世界の動向(クリックすると拡大します。)
 2005年のEUの決定を受け、2006年6月に日本の経団連が大きな方向転換を表明しました。日本経団連が方針転換するということは、大企業がすべて方向転換をするということです。そして1カ月後の、2006年7月には閣議決定、つまり国が日本基準を国際化するという方向を定めました。またそれを受けて、同年7月末に金融庁の機関である企業会計審議会がIFRSとのコンバージェンスに向けて動きだすという意思決定をしました。

―急ピッチな展開ですよね。

平松氏 1970年代からゆっくりゆっくり動いてきましたが、EUの動向をきっかけとして、約1か月の間に経団連→閣議決定→金融庁 企業会計審議会と話は急展開したのです。
 そして2007年の「東京合意*6」で、IASB(国際会計基準審議会)と日本のASBJ(企業会計基準委員会)がコンバージェンスの合意を行いました。東京合意では、まず短期的計画として2008年12月、つまり昨年末までに短期項目について日本基準とIFRSをほぼ同等にするということで、それは完了しました。現在はその後の中長期的計画の段階で、2011年までにさらに多くの項目をコンバージェンスしようと作業を進めています。

―米国のIFRSに対する動きはどうでしょうか。

平松氏 こうした日本の動向の背景には、もちろん米国も大きく関わっています。米国は長い間、米国基準が最も優れていると主張していたわけですが、態度を一変しました。2002年「ノーウォーク合意*7」においてFASB(米国財務会計基準審議会)とIASB(国際会計基準審議会)が、両方の会計基準のすり合わせ作業を始めることにしたのです。

 そんな中、2007年にまた大きな発表がありました。本来、企業が米国進出する際には、先ほども申し上げた通り、米国基準の財務諸表が必要です。IFRSを採択しているヨーロッパ企業は、米国基準との間に差異があるため、これまでは差異調整表を作ることを義務付けられていました。
 しかし、米国基準とIFRSのすり合わせが進み、両者がほぼ同等になってきたということで、米国は差異調整表を撤廃することにしたのです。

 そしてさらに2008年11月、米国もIFRSをアドプション(採用)する方向性で動いている旨が正式発表されました。具体的には、2014~16年にIFRSを適用するかどうかを、2011年に決定するという内容です。

平松氏 そうなると、また日本はさらに大慌てしました。このままだと日本だけが世界の会計基準から取り残されてしまうことになる、と。そこで金融庁は、2008年10月、ほぼ2年ぶりに金融庁 企業会計審議会の企画調整部会を開きました。3回の議論を経て、本年2月「日本も将来的にはIFRSを適用するだろう」という方向性を打ち出しました。
 任意適用については、場合によっては2010年3月期、つまり2009年4月から始まる決算期において適用するという含みの表明をしました。さらにIFRSのアドプションも、まだ正式に決定ではありませんが、大きな方向性としては採用することを2012年には決める方向であることを中間報告案として発表したのです。

 最後の牙城であった米国がIFRS採用への方向性を打ち出したので、日本も追随したわけです。ですので、日本もコンバージェンスを進めながら2012年にはアドプションが行われるかもしれない、というのが現在の状況です。

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