WEBで変わる日本語のコミュニケーション
~インターネット、メールが変えたもの~
齋藤孝 明治大学文学部教授
2013/3/18  1/3ページ

1990年代にインターネットが広く一般人に開放されて以来、日本語のコミュニケーションは劇的に変化を遂げている。では実際にもたらされた変化とはどのようなものなのか?『声に出して読みたい日本語』を執筆するなど日本語やコミュニケーション論に詳しい明治大学教授・齋藤孝氏にお話を伺った。

量が拡大したコミュニケーション

―インターネットや電子メールが登場してから、日本語によるコミュニケーションはどのように変わったのでしょうか?

齋藤氏:コミュニケーションの量が急速に拡大したと言えます。これが結果的に質的な変化も引き起こすことになりました。


 インターネットや電子メールが登場してから、PCや携帯端末を使い文字にして伝えることで、感情を容易に表現できるようになった――それが大きな変化だと思います。大学生を見ていても、作文という形で、原稿用紙に手書きをするように指示すると、緊張して堅苦しくなるのですが、「パソコンで打ってきて」という方が、気分が楽になって書きやすいようです。

明治大学文学部教授 齋藤孝氏
明治大学文学部教授 齋藤孝氏

 それまで文字でのやり取りというのは、時間的なギャップが存在しました。手紙を送って、相手ところに届く。その手紙に対して相手が送り返した手紙が自分のところに届く。もちろん「書く」と行為にも時間がかかりますから、自分が最初に送った手紙から、その返事を受け取るまでにはかなりのタイムラグが発生します。そうすると、ゆっくり考える時間もできるので、また返事を返すにしても感情の深さというものが込められます。それが人間関係をこれまで築いてきたという経緯があります。


 例えば和歌のやりとりは平安時代に恋愛の技法として発達したものです。歌の解釈には時間がかかります。そのため受け取った和歌に対して、自分がどのような歌を返したらよいのか、深く考えなければなりません。歌には比喩の表現を使われているため、そこから推測することが必要になります。文章から相手の気持ちを想像する。つまり、そこに気持ちの深さが発生する余地があるのです。


 しかし電子メールの場合、送った返事がすぐに届くため、返事もすぐに返すようになります。そこで、気持ちの深さを作る余地がなくなるため、水平化します。例えば、各人の内面に抱えている深い問題などは、表面に出さないようにすることが多くなります。そのため全体として電子メール=身軽にコミュニケーションができるメディアというのが、共通認識になっています。簡単な連絡を取るならばメール、深い感情のやり取りをするならば手紙などと、自分がどんなメディアを使うかによって、自分が表現する感情も変化してくるのです。


 またメールではほどほどの反応を返すことが共通の認識になっています。つまり喧嘩をしないような方向にもっていく。これまでは手紙では深い感想を書いたり、恋愛感情を著したり、ややこしいことを書くことも多かった。しかし電子メールの場合ですと、即時に返さなければなりません。そのため、お互いほどほどの浅さのやりとりを行い、関係を常に次へ次へとつないでいくわけです。

メールでやりとりする時間の変化

―確かにそういった面はあるのかもしれませんね。

齋藤氏:そこで内容的に何かを決めていくというわけではないのですが、メールによって人間関係の潤滑油を刺し続けることができるのです。しかし、例えば携帯メールの返事を2日寝かしておくと、それ自体が、何か特別な意味をもってしまう。「私のことが嫌いなのでは?」と感じるかもしれません。


 メールでやりとりをする時間は、近年も徐々に縮まってくる傾向にあり、1時間以内に返さないと「何かあるのではないか?」と心配になってしまう場合もあります。つまり、隣に誰かがいるときに「この番組、見ていて面白い?」と聞かれたら「面白いよね」と答えるようなコミュニケーションの速さがメールにも求められてきているのです。


 他方、メールでのやりとりおいて、普段のおしゃべりの感覚が文字にもちこまれたことで、コミュニケーションの量も非常に拡大したと感じています。 

      

>>日本語の質の面での変化とは?


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