バックパッカーも指先ひとつ
~旅とスマホ・タブレットPC~
新井克弥 関東学院大学教授
2012/10/4  1/3ページ

iPhoneを片手に各国を巡る…。航空券だけ手に入れて、後は気ままに各地を巡る「バックパッキング」と呼ばれる旅の風景も、ここ10年で大分変わってきた。

 こうした旅をする「バックパッカー」が集うタイ王国の首都バンコクにある「カオサン通り」で、長年旅とコミュニケーションを研究している新井克弥教授に、インターネットがなかった時代からiPadやスマートフォンなどのITツールを駆使する現在まで、海外旅行のコミュニケーション変遷を伺った。

「旅の情報ノート」とコレクトコール~カオサン黎明期~

―安宿やツアー会社が多く並ぶカオサン通りへ先生が足を踏み入れたのは1982年、当時のカオサンはどんな雰囲気だったのでしょう。

外国人が多く集まるバンコク・カオサン通りの様子(新井氏提供)
外国人が多く集まるバンコク・カオサン通りの様子(新井氏提供)

新井氏:初めてカオサンに安宿ができたのは1978年です。普通の民家を宿泊できるようにした、ごく簡単なものでした。当時はバンコク市内でもルンピニースタジアム近くにあったマレーシアホテルや、チャイナタウン周辺がバックパッカーたちの集まるところでした。


 この時のカオサンはまだ単なる「通り」です。私が訪れた時もまだバックパッカー向けの安宿はほとんどありませんでした。カオサンが安宿街として注目を集め始めるようになったのは1986年。ガイドブック『地球の歩き方』でカオサンが紹介された時からです。当時の『地球の歩き方』はバックパッカー向けのガイドブックでしたので、ここで紹介されてから安宿街として発展していきました。


関東学院大学 新井克弥教授
関東学院大学 新井克弥教授

―この時期のコミュニケーションや旅の情報収集はどのようにしていたのでしょう?

新井氏:バックパッカーのインフラが整っていませんでしたから、日本人が集まるドミトリー(相部屋)で、旅の情報交換をしたり、宿に置いてある「旅の情報ノート」に書き込まれている各地の情報を見たりというものが中心でした。こうした情報を元に次の場所へ移動していく、というのがほとんどでした。バックパッカー向けの同人誌もありました。


 日本とのやりとりはエアメールか電話です。国際電話も高額でしたから、コレクトコール(着信者払い)で手短に今いる場所を家族に伝える、というものです。


 また、私がインドにいた時は、日本領事館で日本語の新聞を読んで情報を仕入れる、ということもしていました。いずれにせよ、1980年代半ばはこのような状況で、今のように情報をサクサク集めるということはできませんでしたね。

>>Wi-Fiの出現でカオサンも激変


RPAツール・AIHH

【関連カテゴリ】

トレンドその他