はやぶさの成功はその先のマイルストーン
~はやぶさのイオンエンジン開発にたずさわって~
JAXA宇宙科学研究所教授 國中均氏
2011/11/17  2/3ページ

―國中さんもそのなかでイオンエンジン開発に着手されました。

はやぶさのイオンエンジン(提供:JAXA)
はやぶさのイオンエンジン(提供:JAXA)

國中氏:私がはやぶさのイオンエンジンに着手する前に関わっていたのは、別の型式の電気ロケットでした。ただそのロケットは科学探査には向かないことがわかり、「科学探査にベストマッチするようなエンジンを技術開発しよう」ということになりました。そこで「イオンエンジン」の研究開発に着手しました。しかし他の国や研究機関から比べると、我々は後発でした。


 そこで、どうせ開発するのなら他の国が既に製作したエンジンのコピーではなくて、「利用できる最新鋭の技術を導入した、全く新しいイオンエンジンをつくろう」という考えに至りました。そしてマイクロ波電波をつかってプラズマを作るエンジンに挑戦をしたわけです。


 それまでは2つの電極の間に高電圧をかけ放電させ、ガスからイオンと電子が混在するプラズマ状態をつくっていたのですが、この電極の寿命がエンジン全体を制限していました。我々の考えたイオンエンジンは、電極は用いずに家庭の電子レンジと同じようなマイクロ波を使うことにより、それまでのものと比べものにならないほど長時間の運転を可能とするものだったのです。


 基本的には電気ロケットのエンジン開発者として、自分たちが目指すオリジナルなシステムを研究し、あわよくばそれを衛星に搭載して宇宙で使いたいと考えていました。しかし、我々の開発した技術の洗練度が低かった場合、宇宙へ応用することができなくなり、必要なスペックのエンジンを海外や別の会社から買ってきて使いこなすことになる可能性も考慮していました。


 研究を進めていくなかで技術が洗練されていくと、1990年代初頭には段々とエンジンが実験室で動き始めて、「これを使えるかもしれない」という感触が掴めました。


はやぶさを搭載したM-Vロケットの打ち上げの様子
(提供:JAXA)
はやぶさを搭載したM-Vロケットの打ち上げの様子 (提供:JAXA)

―そして、ついに完成したイオンエンジンがはやぶさに搭載され、2003年5月9日、はやぶさが打ち上げられる瞬間が近づいてきます。どのような心境でしたか?

國中氏:はやぶさを打ち上げるための「M-Vロケット」に搭載し、フェアリングというカバーをかけるともう、二度とはやぶさに直接さわることができなくなります。そのときは「まな板の上に乗った魚」のような気分で、とても冷や冷やしました。


 そして打ち上げられたはやぶさが、イトカワを目指して実際にエンジンを運用している時はどきどきしながらも、毎日が楽しかったです。打ち上げから2年経った2005年9月についにはやぶさのカメラがイトカワを捉え、点状に確認することができようになり、それが近づくたびに段々と大きくなったときは非常に感慨深かったですね。 


困難な状況を打開した宇宙技術

―はやぶさに到着してサンプルを回収し、「さあ帰ろう」というときに、化学スラスタが故障するというトラブルがありました。

國中氏:はやぶさが帰る際のトラブルの復旧は想定外でしたが、そこがまさに「イオンエンジンの技術力」の見せどころでした。状況的に、本来のイオンエンジンの性能で電気加速した場合に、はやぶさ自体に悪影響を及ぼす可能性があったので、キセノンガスジェットという、生のキセノンガスをそのまま噴射する手法で、何とか姿勢制御に成功しました。


 そのような甲斐もあって、ようやくはやぶさが地球に帰還できる可能性がでてくると、今度は我々地球にいる側が、万時準備を整えなければいけなくなります。つまり、これまでは帰ることがわからない状態だったため、通りづらかった事務処理を始めました。「回収のための費用はどうする?」「輸送専用のジェット機が必要だけど空港使用できるのか?」「回収にいく国に対して手配は済んでいるか?」などです。


 これまでの、帰還するかどうかわからない状態では、とてもそのような事務処理が承認されるわけもなく、ひたすら負のスパイラルに陥っていましたが、帰還の可能性がでた時点でこれらの事項は一気に解決されていきました。宇宙技術が一点突破することによって周辺状況が劇的に変わる――「すごい瞬間をみたな」と私はそのとき思いましたね。

>>回収したサンプル、はやぶさ2の取り組みは?

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