特集 最先端医療はどう“効く”のか?
がんワクチン・陽子線治療・人体通信網(BAN)の夢と現実
2012/12/17  4/4ページ

――体内にナノマシンが常駐し、病気の悪化を防げるようになる。

 こんな夢みたいな話が最近、現実味を帯びてきているのをご存じだろうか?

 横浜国立大学は、横浜市立大学と共同で情報通信産業と医療の融合の研究開発進めている。身体の各所に設置された通信網・ボディエリアネットワーク、通称“BAN”をコアに情報通信技術と工学、医学の粋をつくした技術を開発、いま注目を浴びている。

常時モニターする「BAN」で予防・治療の新ステージ

 近年、日本における医療費増大はすさまじいものがある。2012年の予算案では保険費用として医療費から30兆円以上の金額が税金に投入されている。しかもこの額は増大する一方であり、その速度は近年においては年1兆に及ぶこともある。

日本の医療費の推移(厚生労働省 国民の医療費概要より引用)
日本の医療費の推移(厚生労働省 国民の医療費概要より引用)

 2000年に森元首相の「イット革命演説」で有名になった「e-Japan戦略」。ITの基本戦略の中で、医療・介護分野として「在宅患者の緊急時対応を含め、ネットワークを通じて、安全に情報交換ができ、遠隔地であっても質の高い医療・介護サービスを受けることができる」という一文が盛り込まれると、以降医療費の増大への対策として「IT利用による医療効率化・高度化」にスポットライトが当たるようになる。

高度化と効率化

 こうした背景の中、日本学術振興会が行っている大学院の研究推進ための補助金事業「グローバルCOEプログラム」に、横浜国立大学の「情報通信による医工融合イノベーション」が採択される。ここで開発されたのが“BAN”だ。BANは体中にセンサーを取り付けることで、常時モニタリングをする。モニタリングされた情報は、通常のインターネット回線を通して医療機関に収集される。これにより、幅広い場面で医療の「効率化」が計られる。


 例えば、血圧や血糖値などの「健康情報」は年1回程度の健康診断や、なんらかの病気により治療を受けた場合以外に取られることはない。健康診断と翌年の診断のあいだに発症して症状が進むことも考えられるが、BANがあれば予防の段階で多くの病気を食い止めることができる。予防ならば患者負担は劇的に少なく、医療費も大幅にコストカットできる。


 BANは単純に医療費削減だけを目的としているわけではない。健康情報を自動的に蓄積することで、治験の自動効率化による「医療の高度化」、在宅医療・福祉支援システム設計による「福祉サービスの充実」、医療教育シミュレーターによる「医師育成の効率化」など幅広い分野への活用も考えられている。


 がん治療に使用される「抗がん剤」は、実際に点滴すると患部の全身に流入するため、体の普段への負担が大きい。カテーテルを血管に通し、患部近くに抗がん剤を流入させれば同じ量でもはるかに効果が高くなるが、毛細血管は非常に細くカテーテルを通すのは困難であり、高度な技術を持った極一部の医療従事者にしかできなかった。しかし、全身の状態をリアルタイムで把握する「BAN」を利用して、カテーテルを誘導すれば、細い血管にカテーテルを通すことが容易になり、広く使用できるようになる。


 糖尿病患者は、自分で定期的にインスリン注射をする必要がある。しかし高齢者の場合、注射のし忘れにより、血糖値が高くなったり、あるいは時間を空けず2度打ってしまうことで低血糖症になってしまい、重大な事故につながることがある。BANで血糖値を監視して、状況に応じて自動的にインスリン注射を打つようにすれば、こうした間違いをなくすこともできるだろう。


 こうした高い技術の一般化や医療過誤の防止技術も「医療の高度化」と言えるが、高度化の最たるものが、冒頭でも出た「ナノマシン」だ。BANとBANによる生体情報のモニタリングを組み合わせることで、診断と治療を遠隔から行うことができる。ナノマシンが患部で治療などをするための手となるピンセットは「μm(マイクロメートル)」単位。10μm程度(約0.01mm)の歯車形状のものが「血流」を受け自己発電をすることで、半永久的に動く。実現すれば、予防治療に大きな成果を発揮するだろう。

医療機器輸出国への転換

 「BANを形成するために課題となったのが、電波障害です」と話すのは、横浜国立大学“工学部”教授の河野隆二氏。横浜国立大学は医学部がなく、工学部のない横浜市立大学と共同でBANなどの研究開発を進めている。河野氏は、グローバルCOEプログラムのリーダでもある。

横浜国立大学教授 河野隆二氏
横浜国立大学教授 河野隆二氏

 BANを形成するには体内などで電波を使用する必要がある。しかしペースメーカーなどの医療機器が、電波の影響を受ける医療機器があるため、単純に使うわけにはいかない。「そこで通常使われている医療機器が発する電波よりも影響の小さい電波を使う必要がありました。それを解消したのがUWB(ウルトラワイドバンド)技術です」(河野氏)。


 UWBは「有効範囲が短く」「周波数帯が広い」。また医療機器などへの悪影響が低いだけではなく、消費電力が非常に少なくなる特徴もある。「BANは場合によってはセンサーを身体に埋め込む必要もありますが、充電するために頻繁に手術をするわけにはいきません。そのため、消費電力を少なくする必要があるのです」(河野氏)。


 こうして開発された「UWB」は、電波法をクリアし、2012年2月には河野氏がフェローを勤め、国際標準化も済ましている。


 「今後は、開発や量産などを一緒にやってくれるような企業を募っていきたいですね」(河野氏)と準備万端。日本は医療機器や医薬品の特許を海外に握られており、膨大な医療費は実は海外へ垂れ流し状態。その額は数兆円とも言われている。もし、日本が特許を握るBANなどの医療機器が国産で開発されれば、日本は単に医療先進国になるだけではなく、医療機器輸出大国になることも夢ではない。

医療の未来

 3回にわたって日本の最新医療を見てきた。高齢化が進む日本において、医療はかつてよりもはるかに身近なものになっている。今この瞬間が健康であっても、いつか関わるだろう医療について、もう一度よく考える機会として頂ければ幸いだ。

(井上宇紀、中西 啓)

注釈

*クール
がん治療における投薬回数の目安。約1月を区切りとしてその中で何回にわけて投薬をするかなどの計画を立てる。

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