
デジタル・ヒストリー
1989年4月21日 ゲームボーイ発売
美しい液晶画面で、専用バッテリー・メモリを持ち、長時間プレイできて、無線LANに対応していて、3D表示ができて、タッチパネルも備えていて…。今では「携帯ゲーム機」は、据え置きのゲーム機に比べてその性能は見劣りするものではない。むしろ「携帯」できることを生かしたゲームソフトの開発により、ゲーム機の主力商品のひとつとして君臨している。
携帯ゲーム機が、こうした製品に行きつくまでには30年以上の歳月がかかっている。記念日を皮切りにデジタル製品の歴史を追う「デジタル・ヒストリー」。今回は、携帯ゲーム機の未来を切り開いた革命的な製品「ゲームボーイ」の発売から今年で25年が経った今、携帯ゲーム機の歴史を紐解く。
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ゲームボーイの誕生
1989年4月。世界的なヒットを誇る携帯ゲーム機「ゲームボーイ」が発売された。世界で1億台以上が販売される大ヒット商品となったゲームボーイ。カートリッジを差し替えて、様々な電子的なゲームが持ち運びできるスタイルはこのとき始まったと言える。
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携帯ゲーム機の草創期にあった初代ゲームボーイ |
ゲーム機に限らず「ハード」の普及には、ソフトの充実が必須と言われている。VHSがベータより売れたのも、プレイステーションがセガサターンより普及したのも、ソフトウェアの充実が要因と言われている。ゲームボーイの大ヒットを後押ししたのもソフトウェアの存在が大きいことは間違いない。『テトリス』シリーズ、『スーパーマリオランド』シリーズ、『ポケットモンスター』シリーズ。怪物的なヒットタイトルの輩出を契機に、ゲームボーイは一挙に普及する。
当時、性能が格段に上の携帯ゲーム機「ゲームギア」(セガ)も存在していた。カラー液晶でテレビを見ることもでき、バックライトがあり、暗い場所でもプレイできる。ところがゲームギアは世界全体で1,000万台、国内では180万台に終わっている。ゲームギアがゲームボーイに比して売れなかった理由は、いくつか挙げられるが1つにバッテリーの継続性がある。
当時のカラー液晶の技術は未熟で、電池の消耗がかなり激しかった。使用するカートリッジや温度によって異なるが、ゲームボーイがアルカリ単3 電池4本で約35時間プレイできたのに対して、ゲームギアは単3 電池6本で3時間程度。10倍以上の開きがあった。
カラーへの移行
携帯ゲーム機の主力がカラーに移ったのは、やはりゲームボーイがカラーになった1998年だろう。「ゲームボーイカラー」は単3アルカリ電池2本で約20時間と、カラー液晶でありながら実用に耐えうるプレイ時間を確保した。2001年に発売されたゲームボーイアドバンスでは、さらに機体の性能を上げ1990年代前半の据え置き機(スーパーファミコンなど)と、ほぼ同等の機能になったようだ。とは言え、ここまでの作品はごく一部を除き、「据え置きゲーム機をスケールダウンして持ち歩く」意識が強かった。
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任天堂の最新携帯ゲーム機のひとつニンテンドー3DS |
この意識がユーザ側でも変わったのが、プレイステーションポータブル(PSP、SCE)とニンテンドーDSが発売された2004年頃。PSPは汎用的なメモリーを備え、ゲームだけでなく動画や音楽、画像閲覧、ブラウザを使ったインターネットや無線通信もできる。ニンテンドーDSは文字通りダブルスクリーン(2つの画面)を持ち、タッチパネルにも対応した。
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SCEのPlayStation Vitaはゲーム機という範疇では収まらない様々な機能を備えている |
併せて、ソフトウェアもそれぞれの携帯ゲーム機の性能を生かした方向に発展している。これにより、据え置きゲームの代替として遊ぶのではなく、携帯ゲーム機としてより独自の発展を遂げていく。もちろん、この時期には携帯電話の普及、テレビ離れなどが進み「個人」の端末が重視されるようになった文化的な背景が「関係ない」ということはないだろう。
2011年には、2004年に発売した機体の発展型とも言えるニンテンドー3DS、PlayStation Vitaを発売。Vitaは3G回線を持つ機体も存在し、単独で通信をすることができる。3DSはARを読み込むゲームが最初から入っている。特にPlayStation Vitaは据え置きゲーム機との連動も活発となっており、携帯ゲーム機ならではの楽しみ方も増えている。ゲームボーイを端に爆発的に普及した携帯ゲーム機。手軽に、そして新しい楽しみ方を提供してくれる携帯ゲーム機が今後、ますます発展していくだろうことは疑う余地もない。