寄稿
情報戦を制した戦国武将たち
作家 加来耕三
2011/11/7  1/2ページ

【第3回】無学巨漢の出世術・藤堂高虎

加来耕三氏 加来耕三氏
歴史家・作家。1958年生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。1983年より著作活動に入る。著書に『徳川三代記』(ポプラ社)、『将帥学』『後継学』『交渉学』『参謀学』(いずれも、時事通信社)『加来耕三の感動する日本史』(ナツメ社)など多数。最新刊に『関ヶ原大戦』(学陽書房)がある。

インターネット全盛のご時世、GoogleやAppleなど、情報のプラットフォームを握ったものが世界を握っています。日本はこの現状に出遅れている感が否めませんが、これまでの日本史上の人物で情報をうまく活用して成功した人物はいなかったのでしょうか?

 日本が騒然としていた戦国時代、様々な戦国大名や武将がしのぎを削りました。彼らの情報活用術に学ぶべきところを見出すべく、作家の加来耕三氏に解説していただきます。第3回は、槍働きからソロバンまで、全力投球で取り組み、大出世を果たした藤堂高虎を紹介します。

戦場、会計、土木。全てゼロからスタートした藤堂高虎
藤堂高虎画像 東京大学史料編纂所所蔵模写
戦場、会計、土木。全てゼロからスタートした藤堂高虎
藤堂高虎画像 東京大学史料編纂所所蔵模写

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自分の値段を知る

 戦国武将・藤堂高虎(とうどう・たかとら)の年俸は、生涯で約4000倍にふくれあがった。破格の出世といってよかったろう。


 だが、彼はとりわけ出自が良いわけではなく、その父は近江国(現・滋賀県)の幾十人もいた、地侍の1 人にすぎなかった。


 出世の武器は当初、巨漢であったことのみ。高虎は6尺3寸(約190センチ)、体重30貫(約113キロ)もあったという。


 彼はこのめぐまれた体格にものをいわせ、骨惜しみせず戦場働きに精を出したが、それでも人生のスタートは、失敗と失望の連続であった。


 元亀元(1570)年6月、高虎は15歳で姉川の合戦に、北近江の戦国大名・浅井(あざい)方の陣借りとして参戦し、大敗を経験。その後、仕官を5つしくじって、高虎は秀吉の弟・羽柴秀長(当時は長秀)に仕えることとなる。この間、スタートが80石(約240万円)であった。


 新しい主君秀長は、この巨漢に300石(約900万円)の値をつけてくれる。高虎が21歳、秀長が36歳のときであった。


 その後、秀長のもとで、高虎は1万石(約3億円)の大名となる(30歳)。

>>高虎の年棒が急上昇したのはなぜ?


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