黒田官兵衛の戦術(2)

黒田官兵衛を作った環境
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| 実は「取次役」だった官兵衛 |
異説は様々だが、はっきりと官兵衛の先祖が確認できるのは祖父、重隆(しげたか)からだ。重隆は姫路で目薬売りをしており、「玲珠膏(れいしゅこう)」がヒット商品となって財をなした。その資本を元に、低い金利での貸付や新田開墾などを行って、地元の有力者になったという。渡邊大門氏は『黒田官兵衛 作られた軍師像』で、こう述べている。
「目薬販売は別として、重隆が土地の売買を行って、金融業で財を成したという点は一考の価値がある。黒田氏は金融業などで財を成すと、周辺の土地を集積し、多くの被官人を抱えたのではないだろうか」(本文より)。金融業と不動産業でのし上がった才覚が、その後の官兵衛の活躍の土台となった、ということだ。
一方、今回の大河ドラマに限らず、官兵衛には「軍師」という称号が付いて回る。だが、本書によれば戦国時代には軍師という言葉すらなかったようだ。当時の戦闘では「軍配者」という占い師が、出陣する方角や日取りなどを決めていた。「明日は大安だから攻めましょう」「仏滅なので出陣は控えましょう」といったニュアンスに近い。
官兵衛のこなした役割は、こうした呪術的な戦術指南というよりも、交渉力が必要な「取次役」だったとしている。秀吉の最前線で、毛利氏攻めから北条氏征伐まで、失敗の許されない敵方との交渉を成功させた官兵衛を、渡邊氏は高く評価している。

