連載 次の60年へ 躍動するテレビの変遷史

2014/7/31

第6回 ハイビジョンの進展

難視聴対策を目的に衛星放送が開始し、大きな転換期となった日本のテレビ放送。テレビの軌跡を追う「躍動するテレビの変遷史」第6回はテレビの発展に大きく貢献した規格「ハイビジョン」に迫る。

ハイビジョンの研究・開発

 

 衛星放送がはじまった1989年6月、NHKは世界初となるハイビジョンの実験放送も同時に開始した。ハイビジョンとは国際的にHDTV(High Definition Television)と呼ばれている。日本が独自に開発してきた技術だ。


 NHK放送技術研究所(NHK技研)は東京オリンピックが開催された1964年から、テレビ画面の大きさや、画面の縦横比(アスペクト比と呼ぶ)などの視覚心理実験を行ってきた。その結果、画面が凹面になっている方が迫力あること、アスペクト比が2:1の横長の方が視聴者に好感をもってもらえることが明らかになった。また、走査線(画像を表示する光の線)を変えられるカメラを用意し、走査線の数と画質の関係を検証。1100本程度の走査線の本数が最も効果的であることがわかった。


 NHK技術研究所はこうした試作機による実験から、1977年にアスペクト比5:3、走査線数1125本の暫定規格を決定。この暫定規格をもとにメーカーの協力を仰ぎ、アスペクト比5:3の30インチ高精細ディスプレーを完成させる。これがのちのハイビジョンテレビの原型となる。その後米国の映画テレビ技術者協会(SMTPE)の要望で、映画との整合性を考慮することになり、アスペクト比は16:9に変更される。


国際的な統一基準へ


 この「テレビの新しい規格」は、国際的な統一基準を目指していた。日本はCCIR(国際無線通信諮問委員会、現在のITU-R)に走査線数1125本を国際的な基準とするよう提案。日本以外もヨーロッパなどから提案が上がるなかで、HDTVの規格審議が進められることとなる。日本製品がスタンダードとなって市場を独占することを恐れたヨーロッパ諸国の反対により、一旦は成立を見送られるものの、国際的に汎用性が高い規格として最終的に認められる。1990年にはアスペクト比16:9、1999年に走査線数1125本が正式に採用されている。


 しかしこの「テレビの新しい規格」による放送をどのようにお茶の間まで届けられるかが課題としてあった。NHK技研は伝送の実験を1972年より開始。輝度信号と色信号をわけて伝達する方式を開発する。また、実験用の放送衛星BSや、光ファイバー・地上波による伝送実験を行った結果、広い周波数帯域幅を利用する衛星放送が、伝送に最も適していることがわかった。


 さらにこの規格を衛星1チャンネルで放送することを目標として開発されたのが、1984年に発表されたMUSE(Multiple Sub-Nyquist Sampling Encoding)方式だ。テレビの膨大な情報量を4回に分けて送り、受信側で受け取るというもの。このMUSE方式の開発により、実用化の目途がつく。


ハイビジョンの普及


 この「テレビの新しい規格」に対する国民の関心が高まるなか、親しみやすい名前を公募したところ「ハイビジョン」という名前が1985年2月に採用される。


 ハイビジョンの定時実験放送が開始した1989年には、NHK衛星第2テレビで毎日14時から1時間だけハイビジョン放送を行い、同じ番組が繰り返し放送された。この実験放送は1991年の11月まで2年半近く続く。その後、NHKが1992年の大相撲初場所をハイビジョンで放送し、朝日放送が夏の高校野球を全試合ハイビジョンで中継するなど、徐々にハイビジョン番組が増加する。

1990年に発売されたソニーのハイビジョンテレビ「KW-3600HD」(提供:ソニー)
1990年に発売されたソニーのハイビジョンテレビ「KW-3600HD」
(提供:ソニー)

 1993年の皇太子ご結婚の際には、90台のハイビジョンカメラが導入される。皇居の結婚の儀と東宮御所までのパレードが中継された。1994年2月のリレハンメルオリンピック中継では、高精細の映像の美しさを視聴者が実感。これらの国民的イベントの放送により、ハイビジョン放送の価値が高まっていく。


 そしてその評価を決定づけたのが1995年1月の阪神・淡路大震災の時だ。当時テレビの取材は中継車を使っており、被災地の狭い路地には入れなかった。そこでNHKは手押し車にハイビジョンカメラを搭載して取材。この映像はこれまで普通のテレビで伝わらなかった細部の亀裂までも鮮明に映し、高く評価されることとなる。


 ハイビジョン受像機の本格的な普及も行われていく。1996年のアトランタオリンピックの開催にあわせて、メーカー各社は続々と新しいハイビジョンテレビを開発。この年に発売された機種は9社で24機種にものぼった。


 家電販売店も量販店団体を中心に販売を大幅に展開。「オリンピック見るならハイビジョンで」という標語とともにハイビジョンテレビのキャンペーンが実施された。1996年6月の1ヶ月のハイビジョンテレビ出荷台数は初めて1万台を超え、12月には1ヶ月でおよそ3万5000台が販売された。長野オリンピックが行われた1998年末には、出荷台数が累計73万9000台まで伸び、2000年4月には83万9000台となるなど、お茶の間にハイビジョンテレビが確実に浸透していくこととなる。

(山下雄太郎)

>>時代は多チャンネル化へ


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