連載 次の60年へ 躍動するテレビの変遷史

2014/5/1

第3回 カラーテレビの衝撃

インターネットの台頭によってテレビの影響力が懸念されるとはいえ、まだまだテレビが必要とされているのが実情だ。テレビ放送が始まって、60年という節目の年が過ぎた今、これまでのテレビの軌跡を振り返り、これからのテレビを考える。前回は戦争の中断を経て開始した白黒テレビ放送に触れた。

NTSC方式採用とカラーテレビ放送開始


 娯楽番組やニュースなど、徐々に番組が充実してきた日本の白黒テレビ放送。米国では1947年にカラーテレビ放送が開始されており、日本でもカラーテレビ放送を行うべきという意見が研究者を中心に挙がっていた。そこで日本でもカラーテレビの実用化を目指し、NHK技術研究所が1951年から実験を始めた。


 ここでカラーテレビの原理を整理したい。カメラで撮影された景色は、カメラ内の特殊なプリズムを利用することで光の3原色(赤・青・緑)に分解され、それぞれの強弱に合った3つの撮像管(被写体を電気信号に変換する装置)によって信号に変換される。カメラから発信された信号は、テレビ内にある電子銃に送られる。この電子銃から信号の強弱に応じた電子ビームが、ブラウン管の蛍光物質にあてられ、光の粒子となる。我々は、この3色の光の粒子の組み合わせを見て、カラー映像をみることができるというわけだ。

ブラウン管カラーテレビの原理
ブラウン管カラーテレビの原理

 1956年12月には、NHKが日本で初めてのカラーテレビ実験局を開局し、実験放送を行った。しかしこの白黒テレビ自体がまだ発展途上の段階で、カラー放送を実施しているのが当時は米国だけという状況もあり、カラーテレビ放送は慎重に開始するべきという意見もあった。


 そこで郵政省(現・総務省)が設置したカラーテレビ調査委員会が検証を開始する。その結果、白黒テレビがメディアの機能を果たし、多くの視聴者が利用しているため、急いでカラーテレビ放送に移行すると視聴できない世帯があることがわかった。そのため白黒・カラーの両方式での放送が望ましいという結論が出され、白黒テレビは白黒で、カラーテレビはカラーで見ることができる米国のNTSC(National Television System Committee)方式が採用されることとなった。ハードについても、1960年に東芝から日本初の国産カラーテレビ21型D-WEが販売されるなど準備が整い、同年9月、NHK、日本テレビ、朝日放送など8社によって一斉にカラーテレビ放送が開始された。

日本初の国産カラーテレビ 東芝21型D-WE
(出典:東芝未来科学館)
日本初の国産カラーテレビ 東芝21型D-WE
(出典:東芝未来科学館)

普及への壁と東京オリンピック中継


 ただ、放送局の設備が追い付かず、カラー放送開始から半年以上たってもNHK総合で1日約1時間、日本テレビで約2時間40分しかカラー放送が見られないという状態が続いていた。


 カラーテレビの値段が高かったことも普及の障壁となった。東芝の「D-WE」は約50万円。1960年当時の小学校教員初任給が1万円であることを考えるとかなり高額だ。「カラー番組が少ないからカラーテレビが売れない」という意見をもつメーカーと、「カラーテレビが高いから普及が遅れる」という放送局の意見が真っ向から対立していた。


 そこでカラーテレビを普及させる「キラーコンテンツ」の存在が望まれるようになる。照準となったのは1964年10月に行われる東京オリンピックだ。開会式と閉会式、バレーボール、柔道、体操、レスリングなど8競技でカラー放送が行われた。競技をVTRで収録し、それをスローモーションで再生する新しいテレビ技術もここで使われるようになる。


 この大会では、米国の静止衛星「シンコム3号」を利用して、オリンピック史上初の衛星中継も行われた。すでに1960年のローマオリンピックでは、NHK技術研究所が画像伝送技術を開発。5時間かけて2分ほどの映像の伝送に成功しており、各国の放送機関から大きな注目を集めていた。


 東京オリンピックは、「テレビオリンピック」とも言われ、日本の放送技術の高さを世界に示したイベントとなったのである。オリンピックでカラーテレビが映し出す映像の迫力が視聴者に伝わると、カラーテレビの販売台数も増え始める。それまで年間数千台規模だったものが、1964年には一挙に5万7000台に増加。さらに1966年に52万台、1967年に128万台と倍増し、カラーテレビが次第にお茶の間に普及していく。


カラーテレビ全盛の時代へ


 また、1966年にはカラーテレビの対米輸出も増加したが、国内価格が輸出価格の3倍もすることに消費者団体などが反発。通商産業省(現・経済産業省)の行政指導もあり、メーカーがカラーテレビの値下げを実施する。結果、10万円以下の小型カラーテレビも販売されるようになり、価格面からも普及が後押しされる。


 その後、カラーテレビは「カー」「クーラー」とともに、「新三種の神器」として注目を集め、「いざなぎ景気」にも恵まれるなど、好調な販売を維持。1970年に大阪で万国博覧会が開催されると、NHKと民放が会期中の様子をカラー放送で実施し、視聴者の大きな関心を集める。これを機に1971年にNHK総合テレビが全番組のカラー放送を行うなど「カラーテレビ全盛の時代」となっていく。

(山下雄太郎)

>>衛星の利用でテレビはさらなる発展へ


注釈

*:いざなぎ景気
戦後の神武景気、岩戸景気に続く1965年から1970年まで続いた好景気の名称。

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