はやぶさの成功はその先のマイルストーン
~はやぶさのイオンエンジン開発にたずさわって~
JAXA宇宙科学研究所教授 國中均氏
2011/11/17  1/3ページ

小惑星探査機「はやぶさ」は、イトカワの微粒子を持ち帰った。その壮大な計画は実際にどのように行われてきたのだろうか? はやぶさ帰還の “生命線”となったイオンエンジン開発者で、JAXA宇宙科学研究所教授の國中均氏に、はやぶさを打ち上げた意義や着想、そしてこれからについてお話を伺った。

はやぶさを打ち上げることの意義

―はやぶさを打ち上げる社会的な意義というのはどのようなものだったのでしょうか。

JAXA宇宙科学研究所教授 國中均氏
JAXA宇宙科学研究所教授 國中均氏

國中氏:「宇宙科学と宇宙技術の進歩」という大きなテーマがそれに当たると思います。宇宙を「地球のまわりの宇宙」と「太陽のまわりの宇宙」の2種類に分類するとすれば、70年代に日本の後者への宇宙進出はすでに達成された技術分野でした。 日本がはじめて「太陽のまわりの宇宙」に飛び出していったのは、1985年でハレー彗星の観測です。そこで「さきがけ」、「すいせい」という2機の探査機を打ち上げることになったのです。次の探査機が、1998年に打ち上げた日本初の惑星探査機「のぞみ」です。


 米国は当然ながら宇宙へ積極的に進出を行っていたので、それに追従するよう、「宇宙科学研究所(当時)として、他国に負けないように飛び出していこう」という理念のもと、宇宙への進出を推進してきました。 


 こうした背景でしたから、サンプルリターンありきで“未開拓の分野”を目指したわけではありません。もちろん「結果として様々な技術分野が社会に還元されるということ」は常に念頭に置いていました。


―パイオニア的要素を目指した結果として「小惑星からのサンプルを回収」が目標となったわけですね。

國中氏:はい。そもそもこうしたことはすべて競争関係にあります。他の国はもうやっていることなのに「それと同程度のことをやります」というのでは価値がないわけです。目的なり内容が陳腐であれば、国家が関与するには値しない。つまり“フロンティア”というのは“世界で初めて”という分野だからこそ価値があるのであり、“二番煎じ”であれば、それには予算がつきません。かといって目的や内容が魅力的すぎると、チャレンジをしていく上でのリスクの方が大きくなってしまいます。その兼ね合いは大変難しいところがあります。

地球を飛び立つはやぶさ(提供:JAXA)
地球を飛び立つはやぶさ(提供:JAXA)

計画始動とイオンエンジン開発着手

―そうしたなか、はやぶさの事業がプロジェクトとして開始されたわけですが。

國中氏:ハレー彗星の観測が1985年。そのときから、「小惑星からサンプルを持ち帰る…。将来そんなことを日本でやってみたい」ということが我々の間で持ち上がっていました。もちろんその時点では、はやぶさを構成する様々な技術は影も形もなく、構想程度でしかありません。さらに「技術とそれを支える人たちのタイアップの必要性」――つまり小惑星サンプルリターンの技術があっても、それをとってきて分析する人たちがいなければ、成り立ちません。その点においても当時は未成熟でした。


 そしてその後、具体的な探査ミッションを考える研究会が行われたのは1993年。その後、具体的なプロジェクトについて話し合い、1995年には予備設計を行い、1996年に予算化され、はやぶさのシステム開発が始まったのです。

>>そしてイオンエンジン開発に着手

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