東日本大震災 
ITは命をつなげられたか?
東北に築かれる最新地域医療ネットワークを追う
2012/3/19  1/3ページ

3月11日。東日本大震災から1年の歳月が経過した。あの日、被災地にあった医療機関ではITインフラが寸断され、致命的な打撃を受けた。津波で病院の資料が流されたところもあった。しかし、もし医療のIT化が進められて、地域内の様々な医療機関の連携ができていたら、あるいは助かる命があったかもしれない…。医療の現場におけるITは今どのように使われ、これから何が必要となってくるのかについて迫った。

医療機関を襲った東日本大震災


 まずは、下の地図をみていただきたい。震災の被害を受けた東北の医療機関の分布を表したものだ。これを見ると、沿岸部にある病院が津波で甚大な被害を受けているのがわかる。

壊滅あるいは被害甚大を蒙った医療施設(出典:田中博氏資料)

 実際に震災当日、被災地の医療機関はどういう状況だったのだろうか。福島県立医科大学附属病院で、救急救命センター医師の長谷川有史氏に当時の状況を伺った。長谷川氏は震災が起きた当初、大学病院にはおらず10キロ離れた病院で救急患者を看ていた。携帯電話の「ピュー、ピュー」という緊急地震速報が鳴り、直後に大きな揺れを感じる。しかしそれ以降、インフォメーションはぱったり途絶え、電話もメールも通じないという状況に陥ったという。


 「病院のITインフラがどの程度機能しているかがまるでわからず、院外にいる医師がどういう対応をすればよいかがわからなかった」と長谷川氏。人の命を預かる医師が震災の影響で情報が遮断され、孤立した様子を伺うことができる。


 長谷川氏は、自身が勤めている福島県立医科大学附属病院へ出勤すると、ITをはじめとした通信網の深刻な遮断がより一層浮き彫りとなった。医療関係者が口をつく「情報がこない」という言葉…。テレビとラジオ以外の情報は皆無となり、普段利用しているコミュニケーションが使用できなくなったことで八方手ふさがりだった。長谷川氏は「そのときにシステムを運用する拠点と拠点のパイプをつくっておく必要性を痛感した」と振り返る。

福島県立医科大学附属病院医師・長谷川有史氏
福島県立医科大学附属病院医師・長谷川有史氏

電子カルテの消失


 福島県立医科大学附属病院は「DMAT」と呼ばれる災害時に派遣する専門医療チームを持っている。ところがネットワーク被害により、沿岸部の病院へ通院していた患者のデジタル化された情報を転送することができない。紙のカルテも津波の被害により大半が流されてしまっている。


 同じような症状の患者であっても、投薬歴や病歴などで適切な治療方法も変わってくるため、普段患者が通院している病院が持つ「患者情報」は、病院外からの紹介患者受け入れに際して非常に重要になってくる。津波被害によって「患者情報」が“つながらない”ために命すらも“つながらない”という悲劇が起きた。


 長谷川氏は「結論になるが、例えば沿岸部の病院が持つ患者情報をPDF化してクラウドやサーバ上に保存できればと感じた。秘匿性が保たれつつ、東京や福島からアクセスができるのであれば、それでひとつの大事なシステムになっていたはず」と語る。

 

日本版EHRへの流れ


 東日本大震災のような緊急時に備えて、あらかじめ医療情報を電子化しておくことはできなかったのだろうか? もともと日本でもEHR*1(Electronic Health Record:電子健康記録)の早期実現に向けた動きは以前からあった。東京医科歯科大学教授の田中博氏は2000年初頭、医療情報学会の理事長兼学会長に就任したときから、電子化が進んでいるヨーロッパや米国、カナダの制度を視察した。


 すでに欧米では患者情報を医療施設間で共有できるようにEHRが進められていた。カナダでは官民組織としてInfoway(Canada Health Infoway)を設立。医療における情報インフラをつくり、患者名や病院名といった情報の登録を完成させ、薬剤情報を電子化して医療情報センターで管理することを目的として動きだしていた。このような状況を見た田中氏は日本でも、欧米にならって「日本版EHR」の構築を改めて提唱し始めた。

>>さらに「日本版EHR」が待ち望まれた背景とは?

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