寄稿
情報戦を制した戦国武将たち
作家 加来耕三
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2011/9/12  1/2ページ

【第1回】織田信長の“情報重視”と“危機管理”

加来耕三氏 加来耕三氏
歴史家・作家。1958年生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。1983年より著作活動に入る。著書に『徳川三代記』(ポプラ社)、『将帥学』『後継学』『交渉学』『参謀学』(いずれも、時事通信社)『加来耕三の感動する日本史』(ナツメ社)など多数。最新刊に『関ヶ原大戦』(学陽書房)がある。

インターネット全盛のご時世、GoogleやAppleなど、情報のプラットフォームを握ったものが世界を握っています。日本はこの現状に出遅れている感が否めませんが、これまでの日本史上の人物で情報をうまく活用して成功した人物はいなかったのでしょうか?

 日本が騒然としていた戦国時代、様々な戦国大名や武将がしのぎを削りました。彼らの情報活用術に学ぶべきところを見出すべく、作家の加来耕三氏に解説していただきます。第1回目は戦国武将の雄、「織田信長」です。

情報の価値を知り、天下統一を目標にした織田信長
情報の価値を知り、天下統一を目標にした織田信長

“情報”の価値を認識させる


 情報というものは、常日頃から伝達回路をもっていなければ、いざというときに、何の役にも立たない。戦国の織田家では、どのような些細な事柄でも、トップの信長の許へ届くように、家臣たちに習慣づけられていた。


 では、信長は“情報”の価値を、家臣たちに、どのようにして知らしめたのであろうか。「大うつけの鷹狩り」と諸国の大名から冷笑された、信長独特の鷹狩りが、その機微を如実に物語っていた。


 本来、この集団競技には細々としたルールがあり、それを守ってこそ競技として鷹狩りは成立するのだが、信長は違った見解をもっていた。


 「要は、獲物を獲ればよいのであろう」
と目的のために、手段(ルール)を勝手に変えた。


 まずは出発点。ただ漠然と鷹狩りには出ず、開始の前に斥候を放った。それも、複数のグループを諸所に向ける。彼らは百姓姿で鋤や鍬を持ち、鳥や獣の居場所を発見するや、見張りの者を残して注進に戻り、報告を得た信長は、すかさず迅速に出動した。現場に到着すると、百姓姿で獲物を欺いている者たちと合流。供の一人を馬上に、獲物のいる辺りを大きく旋回させた。このとき、信長は鷹を己れの腕にとまらせて、馬の陰にいる。そして頃合いを計って、獲物の不意を狙って鷹を放った。


 後年、信長はこの独自の鷹狩りの延長線上に、20世紀の西洋戦術にみられる、“威力偵察”の先駆ともいうべきものを考案している。敵地を偵察するにあたって、部将に一軍を率いさせ、実際に強行侵入をこころみさせた。状況を直接、肉眼で観察させるこの手法の成果は、凄まじいばかりであった。


 なによりも情報が正確であり、情報量も豊富で迅速。織田家の部将たちは、こうした信長の情報重視、危機管理の姿勢の中で鍛えられた。その結果、織田軍団は上から下まで、情報の重要性を十分認識することとなり、トップへの情報伝達は全くといっていいほど疎漏がなかった。

>>鷹狩りの経験を「桶狭間」で活用

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